税理士法人SKC

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自衛隊の存在意義

17.07.26 | 堺俊治の独り言的情報

この度の集中豪雨の被災地で、今もなお多くの市民の期待を担って自衛隊が災害支援活動を行っています。かつて、某総理大臣が「自衛隊が市民から否定的に扱われている時は日本が平和な時で、自衛隊が市民から期待されるときは日本が非常時の時です。だから自衛隊は嫌がられている方がいいのです。」というような趣旨のことを自衛隊員に向けての訓示で発言したことがありました。

 自衛隊を未だに違憲として否定している政党や団体があります。しかし、その政党や団体も、国内の甚大な災害時や周辺国の度重なる海・空の領海侵犯に遭遇する事態に出動する自衛隊に、憲法違反だから出動させるなとは言わないようです。「自衛隊(武力)があるから武力衝突があるのであって、自衛隊(武力)を持たない国を他国は侵略しようとしないはず。自衛隊(武力)を持たなくても、憲法第9条があるから戦争にならない。」という主張を耳にしますが、その主張はあまりに性善説に寄り過ぎているのではないだろうか。TVでも「日本をどこが攻めてくるというんですか? そんな(日本を侵略する)国なんてありませんよ。」と某ジャーナリスト氏は言いましたが、かつてこの人はオーム真理教がサリンを撒いたのではないかとの犯人捜しの報道の際に、「宗教団体がそんなことするかなぁ」と言っていたことを思い出します。

 日本に戦力を放棄させたのは、大東亜戦争の勝者であった米英などの連合国です。憲法の前文にはこう記してあります「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」日本国民は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」永久に全ての戦力を放棄することを決められました。私たち日本国民は、平和を愛する周りの国々の国民の正しい心を信じることで、安全に生きていくことを決めたので、戦力は放棄するということですよね。私は一日本人として、現状の周りの国々を観てとてもそんなことは決められないですが・・・・。

 同じ敗戦国であったドイツでは「侵略戦争の禁止」の定めはありますが、戦力の放棄の定めはありません。なぜ日本だけに、全ての戦力を永久に放棄させる憲法を制定したのだろうか?ここで考えられることは、日本人が戦力を持つことを、当時の米国はそれくらい恐れたのではないかと想像できます。そして、米国の下で米国に防衛を委ねることでしか日本人は国を守れない状態を維持し続けてきたということではないだろうか。他国から宣戦布告されたとき、戦力を持たなければどうなるでしょうか。今は日米同盟によって米国が守ってくれることになっています。いわば米国は日本のボディガードですね。最近、それはあてにならないという論議もありますが、自らの戦闘力も充分に保持しないままで、そのボディガード契約を破棄しろという人もいます。戦闘力が高ければそう易々と宣戦布告されることは無いし、ボディガードも必要ないかもしれませんが、そこまで戦闘力を高めるかどうかは、より論議がいるところでしょう。

 いずれにしろ、今の世界情勢では、自衛隊を解散して戦力を無にするような選択がありえないことだけは確かです。日本国憲法は、紛争解決に戦力の使用を厳格に禁止しているのですから、国際法も認める防衛力として、憲法を改定して、自衛隊を合憲な組織に定める時期ではないでしょうか。

 今回の稲田防衛大臣の日報隠蔽問題ですが、先の文部科学省問題と共通して感じることは、官僚に対してのコントロールがしっかり機能していないという点です。いずれも問題となったきっかけは、官僚の内部情報の漏洩からです。特に防衛省は、自衛隊を政治家がしっかり統制することで、シビリアンコントロールが守られるのであって、防衛省内部から造反されて大臣が罷免されるようでは、官僚に大臣が統制されてしまうようなことになります。文部科学省の官僚であった前川元事務次官が、明らかに官僚が政治家(内閣)に負かされたことが気に入らなくて造反しているように、そんなことで政治家が足元をすくわれるようでは、自衛隊のシビリアンコントロールも難しいのではと、やや危惧するところもあります。前川氏の座右の銘は「面従腹背」だそうですが、防衛省をはじめとする各省官僚が「面従腹背」でないことを祈るばかりです。

*「面従腹背」:うわべでは上の者に服従するように見せかけて、内心では反抗すること。

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