TFSコンサルティンググループ/TFS国際税理士法人 理事長 山崎 泰

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『素直な心』が『経営判断の根幹』~谷井昭雄・元社長が語る、松下幸之助翁の政経塾創設への想い ~

18.04.10 | 経営全般

【・・・2018年3月号からの続きです】

2018年3月号
『松下電器創業100周年
~谷井昭雄・松下電器産業元社長が語る、素顔の松下幸之助翁~』記事はこちら↓
https://mi-g.jp/mig/article/detail/id/14457?office=7iWLeQw%2FZBk%3D

■ 幸之助翁が、経営者として下した最後の決断は・・・
天下のソニー・盛田昭夫氏からの要請に対して、考えに考え抜く松下幸之助翁。
当時、岡山のビデオ事業部だった谷井昭雄氏のもとにも、松下幸之助相談役(当時)から
二度も三度も、
「キミ、どう思うか」と、電話がかかってきたといいます。

(つづく)

【・・・2018年3月号からの続きです】

2018年3月号記事はこちら↓↓をクリック
『松下電器創業100周年 ~谷井昭雄・松下電器産業元社長が語る、素顔の松下幸之助翁~』


■ 幸之助翁が、経営者として下した最後の決断は・・・

天下のソニー・盛田昭夫氏からの要請(「家庭用ビデオテープレコーダーの規格を、
ベータに統一して欲しい」)
に対して、考えに考え抜く松下幸之助翁。

当時、岡山のビデオ事業部だった谷井昭雄氏のもとにも、松下幸之助相談役(当時)から
二度も三度も、
「キミ、どう思うか」と、電話がかかってきたといいます。 

そして最後に出した、経営者としての決断。

1976年末、松下電器本社を訪れたソニー・盛田昭夫会長に対して、
ソニー製品と松下電器&ビクター製品を前に、松下幸之助相談役。

「ベータも捨てがたい。」
「ソニーのも良いが、ウチのも良いな~」
「どう見ても、ウチの日本ビクターの方が、部品点数が少ないな」
「私の所は1,000円でも100円でも安く作れるほうを採ります。
   後発メーカーとしてのハンディキャップを取り返すためには、
   こちらは製造コストの安いほうでやるしかありまへんな」

たとえ競合企業であっても、共存共栄を旨とする松下幸之助が、
経営者として、なぜこういう決断をしたのでしょうか?


■ 決して、松下幸之助翁は「欲」だけで判断しない

確かに創業者は技術者ではなかったけれど、
お客様にとって将来どちらが良いか・・・

メーカーとして、この技術が将来どのように発展していくか・・・

米国やヨーロッパはじめ世界との競争を考えたとき、
日本のスタンダードはどうあるべきか・・・


決して技術の専門家ではないけれど、 損得抜きに、欲得抜きに、
とにかく「素直」に考えながら、なおかつ、
当時の谷井昭雄・ビデオ工場長はじめ周りの意見を、納得いくまで何度も聞いて・・・
徹底的に「衆知」を集めて、日本のスタンダードとして「VHS」を選択することを決断!

「VHS」が、松下電器の流れを汲む日本ビクター製であったことは、
松下幸之助翁にとっては、あくまでも結果に過ぎなかっただろう。

決して、松下幸之助翁は「欲」だけで判断しない。


■ 「素直な心」で「社会の公器」として、企業のとるべき道を判断

松下幸之助翁も、全く欲がなかったわけではないだろうが、
企業経営者ゆえ、もちろん企業経営の損得は大事だろうが、
松下幸之助翁がもっとも大事にしていた『素直な心』・・・

これが、幸之助翁の経営者としての『判断の根幹』

「素直な心」で、社会の公器としての企業の取るべき道を、公の観点から判断する。

決して、松下電器、ビクターのためではなく、
日本の未来、日本の将来技術にとって、どちらの道を取るべきかを決断。

そして、「VHS」の道を進むことに。。。
結果的に、「VHS」がデファクトスタンダードとなり、
日本のビデオ事業が世界に冠たる競争力を持つことにつながっていくのです。。。

谷井昭雄・元社長は、あの時の松下幸之助翁の判断・無私の決断が、
日本の家電業界の将来性をも左右する大きなエポック・メーカーだったような感慨を込めて、
語られていました。


■ 鄧小平氏と会談「21世紀はアジアの時代」

谷井氏の話は、さらに世界へと広がっていきます。

後年の松下幸之助翁は、海外とりわけアジアの発展へと目が向いていく。
1973年、会長から相談役となり、1978年、創業60周年を機に、
より視線が世界へと広がっていく。

同年、当時の中国・副首相だった鄧小平氏が来日。
日本の先端技術を見たいという希望で、
松下電器の工場を視察。 
そして、有名な、
松下幸之助相談役・鄧小平会談が行われるのです。

鄧小平氏から、
中国経済の開放改革・近代化への協力を要請された幸之助翁。。。

「21世紀はアジアの時代」
「牽引するのは日本と中国」
「アジアの発展に向けて、日中は協力し合っていかなければならない」

中国の近代化に対する全面的な協力とともに、訪中を約束します。
1979年、1980年と、幸之助翁は約束通り訪中、鄧小平氏と再会。
1980年には、谷井昭雄氏も同行したと語られます。

幸之助翁は、鄧小平氏と会談するごと、
鄧小平氏に、熱心に経営の話をしていたというのです。
革命のリーダー・鄧小平氏に、経営を説く経営の神様・松下幸之助翁。。。

「中国を近代化しなければならない」
「そのための国づくりは、まさに経営」

きっと、そんな思いだったのでしょうか。

◎1978年10月28日 鄧小平氏を迎える松下幸之助翁の様子【動画】


■ 松下幸之助翁の松下政経塾創設への想い

谷井昭雄氏の特別講話の締めくくりは、やはり、
「松下幸之助翁の松下政経塾への想い」でした。

松下政経塾開塾は1979年、先にも綴ったように、まさに視線がより世界に向けられた頃。
政経塾も、もうすぐ40年の節目を迎えようとしている。

その節目に向けて、谷井昭雄氏から、我々、松下政経塾OBである塾員へのメッセージ。。。

松下幸之助翁が、なによりも大切にした「経営」

「経営」というものは、常に事業計画を立て、実行し決算を組み、決算報告をする。
その実行~評価~改善の繰り返しが、まさに「経営」

政経塾も、もうすぐ40年の節目を迎える。

国を愛し、21世紀の日本の発展のために、幸之助翁が創設した松下政経塾。

それゆえ、40年の節目、ひとつの総決算として、『事業報告書』を作ってはいかがか!

幸之助翁は、70億円もの私財を投じて設立したのだから・・・
創設者・幸之助翁の投資に対して、総決算の『事業報告書』を!

これからも、大きく変わろうとしている世界、そして変化に対応する日本。
激動する世界に対して、将来の日本をどう経営していくかという
『事業計画書』も、一緒に作って欲しい!

創業者・松下幸之助翁も、きっとそう思っているだろう。

33年間、松下幸之助翁に仕えた身として、そう思う。


   平成30年(2018年)4月
               山  崎   泰


◎ホンネで綴る『山崎 泰 “ズッこけ”デイリーブログ!』
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