税理士法人SKC

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令和元年を振り返って

19.12.27 | 堺俊治の独り言的情報

 本年は、日本国をそして北九州市をしっかり振り返る年となったように思います。情けないことですが、この歳になってやっとです。昨年11月に2度目の皇居清掃ボランティアから御代替わりを体験することで、日本国の国体を感じることが出来たように思います。いわば日本人とはこういうことなんだという感じです。

 私は、青年時代は極左過激派でしたので、君が代や大学の校歌ではなく常にインターナショナルを歌っていました。「・・・・・嗚呼インターナショナル我らがもの」と。正しきは共産主義と信じていました。しかし、実際に活動している組織には抵抗感が強く合って、党員にはなりませんでした。今はその理由が分かります。当時の過激派組織にもスターリンや毛沢東、金正恩などの共産党組織の持つ独裁的体制や残虐性を感じていたのだと思います。青年時代の私が感じた共産主義が目的としている世界は、いわばSDGsの理想そのものだったのです。しかしどの共産党指導者も、世界平和や、持続可能な世界を、そして人民の幸せを本気で願い続けていたとは思えません。一様にぶくぶく太って、保身のために生きているようにしか見えないではないですか。皇居清掃ボランティアにおいて、天皇皇后両陛下のお会釈の際に、私だけでなく周りの皆さんも、一様にあふれる涙を抑えきれない様子が、初めての体験の時にはよく理解できませんでしたが、昨年も溢れる涙を感じながら確信したんです。このお方こそが、世界平和や、持続可能な世界を、そして国民の幸せを、本気で毎日祈願してあるお方だからなんだと。そう感じた時、日本人として地に足がついたのかもしれません。

 本年、北九州市IR推進協議会の会長を拝命して、各界の方々と論争する中、北九州市のこれからの可能性より、限界の方を多く感じ、今までになく北九州市の将来に対する不安を強く感じました。
 政令指定都市であるにもかかわらず、知名度のあまりの低さ、一人当たりの収入の低さや、いまだに拭えない暴力団の街というイメージ、またものづくりの街というこだわりに対してスタートアップ企業のあまりの少なさ等、普段仕事に追われる生活しているとあまり意識することもなかった北九州市の将来像に直面しました。あらためて重化学工業に依存してきた街の限界を感じさせられています。 
 日本製鉄や三菱化学などの重化学工業の北九州市での設備の老朽化が進み、北九州市での操業は採算に合わなくなっていること。このことは最新設備の他の都市に、いつ北九州市から移転、撤退してもおかしくない状況なのに、その危機感を議会や行政はどれくらい感じているのか。SDGsなどは、やっと国連も当たり前のことを目標にできたというだけで、先進主要国にとってやって当然の政策であり、ましてやその先進国中の政令指定都市が政策として取り入れることは当たり前のことで、SDGs模範の都市などと標ぼうすることはきれいごとを述べてうれしがっているだけで、何の意味もないことだと思うのです。 
 北九州市の未来のためには、もっとダイナミックな提案ができるリーダーがぜひとも必要だとつくづく思った令和元年でした。

 

よいお正月をお迎えください。

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