税理士法人SKC

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新市長の誕生

23.02.27 | 堺俊治の独り言的情報

 コロナ禍が始まる前年から、私が参加しています中小企業経済団体の役員の主だった方々や他の中小企業を中心とした団体の幹部級の方々などで、北九州市の将来に向けた新たな経済的取り組みの為に、今までにない将来の事業育成に特化した経済団体を発足させようという機運が高まって、北九州再生推進協議会と名付けた団体が発足しました。そしてその協議会の活動の大きな推進力の為には、我々中小企業と市民が担ぐ市長を我々の手で生み出そうという機運も生まれました。

 そんな経緯で、我々は数人の仲間で、次の市長選の立候補者を探し始めました。 随分時間をかけて検討しましたが、なかなか名前が上がらない中、何とか口説いてみようとお話しした方もいろんな事情で難しく、暗礁に乗り上げそうなときに、今は覚えていませんが、誰かが「武内氏が、知事選ではなく、北九州市長に立候補してくれればよかったのになぁ」とつぶやいたのです。 それからです、「いまさら無理だろう」とか言いながら、どこでどうされているかも知らないのに、武内氏に連絡を取ってみようとなりました。 そしてそれから数日後に、何と会えることになったのです。 どこまで我々の話を聴いてもらえるかわからないまま、ともかく北九州市を観て欲しいと伝えると、知事選に立候補したとはいえ北九州市のことはよく分かっていないというような返事をもらったと思います。 そこで我々数人が半日がかりで、門司区和布刈から北九州市を縦断して、八幡西区から皿倉山へと案内し、その後北九州市の持つポテンシャルについて論議しました。 そして北九州市の市長選立候補を視野に入れて、これから我々と会合を持ってもらえないかと伝えました。 その後こちらの人数を増やしての会合を持ちながら、北九州市のことをより理解してもらおうと動いていたところに、C-19コロナパンデミックが始まってしまい会合の開催が難しくなります。 そうこうしているうちに、私は大腸癌ステージ4の診断を受け、入院手術と抗癌剤治療(現在継続中)が始まり、仕事や団体の活動の休止を余儀なくされてしまいします。 この間、武内氏が立候補の方向で動き始めたことや、多くの会合を北九州市中で行っていることなど、また今回の市長選挙に立候補する際は、政党からの支持や支援は一切受けない活動に終始すること等、その都度、状況の報告は受けていました。
 武内氏が、昨年8月ついに我々の念願の市長選挙の立候補宣言をします。 その前からそうなのですが、立候補しようと決めてからの彼の行動にはブレがありません。 政党や大企業等の組織力に頼らないで、市民一人一人の支援で当選するという途方もなく大変な選挙活動を「ウサギとカメの童話」のカメのごとく、目標に向って周りが心配するほど小さな一歩一歩から活動し、それこそどんな非難に合おうと、「ウサギさん」から何を言われようと、あきらめずに進み続けたのです。 聴いている限りですが、その行動力がすごいのです。 しかし少しも疲労を感じさせない姿勢とふるまいには驚くばかりでした。 その成果が日々蓄積して奇跡のような結果を生み出しました。 あきらめずに進み続けることの偉大さを改めて教えてもらいました。
 選挙事務所にて「当確」がTV画面に出た瞬間、大歓声と大拍手そして涙で一杯でした。 しばらくして武内氏が壇上に上がります。 私は彼が感激して号泣するかと思いきや、その時選挙事務所にいた誰よりも冷静だったように感じたのです。 少しも興奮せず、もちろん涙も流さず。 その後思ったのですが、彼はすでにその時これからの責任の大きさをしっかり感じていたのだと思うのです。 ただ大喜びし感動している我々とは違い、もうすでに先を観ている武内氏が感じ取れました。 それは彼のその後の行動にも感じられます。 恐らく全てを一人で背負っているかのような責任感だと思います。 ここからは、議会や政党のせいにもできないし、支援をしてくれたからといって市民のせいにもできないのです。 出来るかどうかでなく、やるんだという決断と、そのためにやれることはすべてやるという決意、それはこれまでの選挙活動が彼の決意に基づく行動のエビデンスとして示されています。
 武内新市長として、20日に登庁し、その日の午後には高島福岡市長、前田下関市長と会談している様子が報道されるのを観て、おのずと武内市長の可能性の大きさを感じさせてもらいました。 そうですねぇ、一言で言えば「こりゃあ、面白くなるぞ~!」といったところです。

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