TFSグループ/TFS国際税理士法人 理事長 山崎 泰

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オバマ大統領に立ち止まってほしい・・・ 昭和20年8月6日 午前8時15分

16.05.17 | 国際

■ オバマ大統領の英断

第2次世界大戦末期、1945年8月6日午前8時15分、広島に原爆を投下したアメリカ・・・
71年目にあたる今月27日、アメリカの大統領として初めて、オバマ大統領が被爆地・広島を訪問されます。

私のような戦後世代でさえも、あらためて平和への願いとともに、戦後史の歴史的な転換とも感じるのですから・・・
戦前・戦中を生きてこられた方々は、私たちの想像をも超える、重く深い想いをもって、米国大統領の広島訪問を見つめておられることと思います。

■ 50代になって見るヒロシマ

今から、ちょうど4年前の6月2日、土曜日。
私も、広島平和記念資料館(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)に立っていました。

かつて20代、30代の頃、研修や式典などで訪問して以来、久しぶりの広島。
そして、50歳になって、あらためて訪れた広島でした。

広島での会合の合間を縫って、
広島平和記念資料館、原爆の子の像、原爆ドームと、
様々な想いを抱きながら、ひとり足を運んでいました。
 
同じ場所に足を運んでも、やはり年代によって、見える光景が違う・・・
そんな実感を抱きながら、歩みを進めた広島の地。


市内中心部にかかる相生橋。
T字型のとても珍しい形の橋。

相生橋を渡る時、タクシーの運転手さんから、
「この珍しい形をした相生橋が、
 B29エノラゲイが原爆投下する際の、
 格好の投下目標になったのです…」
と教えてもらいながら、複雑な想いで記念資料館に足を踏み入れました。


■ 『ヒロシマ』の無念

昭和20年8月6日、午前8時15分。

原爆投下とともに『ヒロシマ』『とき』が止まった瞬間
数多くの遺品の時計も、焼けただれたまま、針が8時15分で止まっていました。
  
 昭和20年4月、原爆投下の候補地は、最初は17か所。
 5月は、広島、京都、横浜、小倉の複数が候補地だったこと。
 7月25日、広島、小倉、新潟、長崎を目標とする原爆投下命令が出されたこと。
 8月2日、「攻撃日を8月6日。第一目標を広島。第二目標を小倉、第三目標を長崎」
     とする最終命令が出されたこと。
 8月6日、遂に命令が遂行されたこと。


■ なぜ、ヒロシマだったのか

『なぜ、ヒロシマだったのか・・・』

アメリカ兵の捕虜収容所がなかった(とアメリカ政府が認識していた)ことが、
最終的にヒロシマが目標となった決定的な要因だとする記述もありました。

気象観測に出た先攻機からの報告、
「当日、広島が晴天でなかったら・・・」 等々の説明が詳しく記されていて、
“ヒロシマの無念”が伝わってくるようで、胸が締めつけられるのです。

そしてなんと、原爆投下による効果をできるだけ正確に測定するため、
原爆投下候補都市に関しては、5月以降、通常空襲の禁止命令まで、アメリカ軍は出していたのです。

空襲を受けていないヒロシマは、まさに「嵐の前の静けさ」だったのです。
4年前、広島の地で胸に去来した想い・・・今でも忘れることができません。


■ いつかきっと・・・7年越しの布石

2009年4月、プラハでの演説で、「核兵器なき世界」を提唱し、
ノーベル平和賞まで受賞されたオバマ大統領。

2009年11月の初来日時、ひそかに広島訪問を検討するも、
この時は日本外務省サイドの「時期尚早」との見立てに・・・
「在任中に、被爆地を訪れることができれば光栄」と語った
オバマ大統領のコメントが、今日の訪問の原点だったといわれて
います。

2010年11月、2014年4月・・・
オバマ大統領の2回目・3回目の来日時には、広島・ 長崎への訪問は、
日米ともに大きな議題にすらなりませんでした。
当時の静けさの背景には、「いつかきっと・・・」という大きな想いが
秘められていたのかもしれません。

その後・・・2014年8月、ケネディ駐日大使が広島・長崎を訪問して、
事態が動き始め、2015年4月、安倍首相が訪米。

米議会の上下両院合同会議で、日本の首相として初めて演説。
「希望の同盟へ」と題するスピーチが大きな話題になったことは、
記憶に新しいところです。

今年になって、2016年・・・
サミット前哨戦の4月「外相会議」は広島で開催、
本丸の5月「主要国首脳会議(サミット)」は伊勢志摩で開催・・・
前哨戦たる外相会議で、ケリー国務長官が広島訪問。

先に広島・長崎を訪れたケネディ駐日大使、ケリー国務長官が、
ともにホワイトハウスでオバマ大統領に広島訪問を進言。
一連の流れをみると、2回目・3回目の訪日時の静けさから、
まさに絵に描いたように打たれてきた、広島訪問への布石だったように思うのは、私だけではないはずです。


■ 反作用があったからこその、広島訪問実現!

アメリカ大統領選挙で勢いづくドナルド・トランプ氏が、
オバマ大統領の核廃絶を否定するかのような演説、
在日米軍の駐留経費の全額負担を日本に求める発言、
そして北朝鮮・朝鮮労働党大会での核保有宣言が、
オバマ大統領の広島訪問に向けた、最後のトリガー(引き金)になったというのも、
なにかとても皮肉なように思います。。。

核廃絶を嘲笑うかのような動向に、そうはさせまいと・・・
『核廃絶』に世界を呼び戻そうとする、オバマ大統領の広島訪問。

反作用があったからこその、広島訪問実現!なのかもしれません。

いずれにしても、唯一の被爆国・日本にとって、
歴史が「核兵器なき社会」というあるべき方向へ呼び戻してくれた、
戦後史の転換ともいえる出来事のように思えてなりません。


■ 1945年8月6日、午前8時15分に立ち止まってほしい・・・

アメリカでの世論調査によると、
原爆投下は「正しかった」として肯定する意見が約6割、
「間違っていた」として否定する意見が約2割だといいます。

もとより、日本人のひとりとして、オバマ大統領が広島の地で、
長崎も含めてどのようなコメントをされるのか、
固唾を飲んで見守っていますが・・・

私自身、もっともっと大切なことは、
現職のアメリカ大統領に、ヒロシマを感じてもらうことだと思っています。

核のボタンを押す権限をもつ大統領に、被爆の地に立ってもらい、
同じときを過ごし、胸に去来する想いを・・・
日本人とともにして欲しいと思うのです。

私が4年前、8時15分で止まったままの時計を見て、しばらく立ちすくんでしまったように。。。
71年前の8月6日、午前8時15分に立ち止まってもらうことが、かけがえのない平和への道だと。。。


オバマ大統領、1961年8月4日生まれ。
畏れ多いのですが、かく申し上げる私も、1961年8月1日生まれ。わずか3日違いです。

50代になって見るヒロシマ。。。

国を超え、立場を超え、日々の見るべき視野の広さを超えて、
あの場に立てば、すべての違いを超えて感じる、胸に去来する想いがあるはずです・・・


   平成28年(2016年) 5月
                山  崎  泰

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