大阪プライム法律事務所

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ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)

17.02.28 | ニュース六法

北朝鮮最高指導者金正恩委員長の異母兄であった金正男氏が、2月13日、マレーシア・クアラルンプール国際空港で殺害されました。北朝鮮工作員が、ベトナム国籍及びインドネシア国籍の女性2人を利用して殺害させた疑いが出ています。マレーシア警察によると、猛毒のVXガスが使用したとされています。さらに、駐マレーシア北朝鮮大使館員として外交官の地位を持った者が関係していると見られています。

このため、関与が疑われる北朝鮮大使館の2等書記官は、現在、北朝鮮大使館に身を潜めていると見られています。その書記官に対して、マレーシア警察は事情聴取に応じるよう求めていますが、北朝鮮側がこれに応じようとしていません。最後は、「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外追放も念頭においているようです。この「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」とは、どういうものでしょうか。   (写真は北朝鮮国旗)

外交官は「外交関係に関するウィーン条約」で特権が保障されており、同条約は「外交官の身体は、不可侵とする。外交官は、いかなる方法によっても抑留し又は拘禁することができない。」と規定されています。

                                             (写真はマレーシア国旗)


ただし、派遣国は、外交官の有する「裁判権からの免除」特権を放棄することができます。この放棄を派遣国がした場合は、接受国は、その外交官を逮捕したり訴追したりすることが可能となります。このために、マレーシアが北朝鮮側外交官を刑事裁判にかけるには北朝鮮側の同意が必要になりますが、北朝鮮は同意をする見込みはないため、マレーシア側としては手を出せません。

 

このような場合、マレーシア側の選択肢は限られており、捜査の役には立ちませんが、「ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)」として国外追放することは可能となります。

 

■外交関係に関するウィーン条約とは

外交関係に関する基本的な多国間条約で、外交関係の開設、外交使節団の特権(外交特権)等について規定した条約です。内容の大部分は国際慣習法として確立した規則を明文化したもので、1961年のウィーン会議で採択されました。

 

■ペルソナ・ノン・グラータ(ラテン語: Persona non grata)とは

「好ましくない人物」という意味で、長年にわたって蓄積されてきた国際慣習であり、外交官が接受国からペルソナ・ノン・グラータの通告を受けた場合には、派遣国は状況に応じて対象者の「本国へ召還又は外交官任務終了」をしなければなりません。ペルソナ・ノン・グラータはいつ何時でも一方的に発動でき、またその理由を提示する義務もありません。「外交関係に関するウィーン条約」や「領事関係に関するウィーン条約」で明文化されています。

 

派遣国が「ペルソナ・ノン・グラータ」が発動された後に、対象外交官の「本国へ召還又は外交官任務終了」を拒否した場合や、相当な期間内に行わなかった場合は、接受国は対象者がもはや外交特権を持たないものとみなし、違法行為があれば身柄拘束できるようになります。このため、通常は、発動前後に自主的に国外に出て行ってしまうのが大半です。

 

■日本での実例

日本でも、外国からの外交官に対してペルソナ・ノン・グラータを発動した例はいくつかあって、有名な例のうち2つほど上げてみます。今回のマレーシア政府の対応を予測するにあたって参考になると思います。同じ展開をたどるかもしれません。

(1)金大中事件

1973年に、韓国の1等書記官が、金大中事件に関与した疑いで、警視庁が出頭を求めたが拒否されたため発動しました。金大中事件は、私も強烈な印象が残った事件でしたが、1973年8月に、後に韓国大統領となる金大中氏が、韓国中央情報部(KCIA)により日本の東京都千代田区内のホテルグランドパレスから拉致されて、5日後にソウル市内の自宅前で発見された事件でした。

 

警視庁はKCIAが関与していたと発表し、ホテルの現場から韓国大使館一等書記官の指紋を検出したため、出頭を求めたものの、同書記官は外交特権を盾に拒否したことから、日本政府はペルソナ・ノン・グラータを発動しました。結局、同書記官は外交特権に保護されて出国し韓国に戻りました。

 

(2)バカラ賭博場提供事件

これは、2005年から2006年にかけて、コートジボワールの外交官が、賭博を開いていた部屋の名義貸しをして多額の報酬を得ていたことが発覚した事件でした。

 

この行為は、賭博開帳図利ほう助罪(刑法186条2項)に当たる疑いがあったので、警視庁から外務省を通じて、コートジボワールの在日本大使館に、この外交官の外交特権の放棄(外交関係に関するウィーン条約32条)を要請しましたが協力は得られませんでした。このために、日本の外務省は、この外交官についてペルソナ・ノン・グラータを通知しましたが、この外交官は、その通知の前日に帰国してしまいました。

 

これには、後日談があり、この外交官は、2010年に日本に戻ってきたところ、外交官としての身分を有していなかったために、警視庁に逮捕されました。

この時の新聞記事は、次のように報じています。

 

2005年10月に警視庁が摘発した東京・南麻布のバカラ賭博事件で、自分名義で借りたビルの一室を提供したとして、警視庁が賭博開帳図利ほう助容疑で逮捕した元駐日コートジボワール大使館外交官が、「賭博場として提供したわけではない」と容疑を否認していることが26日分かった。同庁組織犯罪対策特別捜査隊によると、逮捕されたのはヨザン・チャールズ・テリー容疑者(42)。同容疑者は06年3月末に出国していたが、今月22日に再入国した際、成田空港で逮捕された。同容疑者は入国目的を「家族に会いに来た」と話しているという。(2010/5/26 日経新聞記事)

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