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知っているようで、よく知らない「男女雇用機会均等法」とは?

16.01.14 | ビジネス【人的資源】

太平洋戦争は1945年に終わりましたが、日本の法制度は占領下で大きく変わりました。その1つが女性の地位です。よく「女・子ども」と言いますが、女は子どもと同様に弱いもの、保護すべきものということで1人前に扱ってもらえていなかったのです。

例えば、家中心の法律では、妻は財産を持てず、法的に無能力で選挙権もなかったのです。それが敗戦により一変しました。男女平等が憲法でうたわれ、夫婦は平等、世帯主は女性でもよい、相続は男女や出生順に関係なく平等となりました。

特に教育については、男女平等ゆえ、女性も4年制大学に入学することができるようになりました。それまでは「女子大」といっても、実は専門学校でしかなかったのです。

<日本の男女平等度> 

日本の戦前のような状態は、昔はどこの国でも同じでした。それが社会運動や戦争・革命などを契機に民主化が進みました。日本は先進国の足並みにやっと追いついたのですが、戦後の社会の推移を見ると、実態はそれほど変わっていないことがわかりました。

つまり、占領が終わり、社会が落ち着いてみると、男女平等はまだらであり、国際比較をすると、なんと日本は「中東よりまし」という程度で、世界の劣等生だったのです。 

アメリカの最近のある調査で、女性にとって差別があるという場所は、職場が一番多くて、広告、メディア、政治、スポーツ、学校という順でした。これは日本も同じでしょう。教育の場では差がないものの、雇用となるといろいろな問題があります。そこで登場したのが男女雇用機会均等法です。 

<戦後30年経って生まれた男女雇用機会均等法> 

国際的な要請もあってようやく生まれたのが、仕事についても男女平等を実現しようとするこの法律です。目に見える変化がありました。それまで企業が人を募集するとき、「男性何人、女性何人」と掲げるのが常でしたが、これは違法となりました。

また、定年は、男性55歳、女性50歳というように定めていたのが、これもなくなりました。そのほか、昇進・昇給・教育訓練・退職も男女同じに扱うよう定めていますが、その実態はまだまだでしょう。 

この法律も何回か改正がありました。1997年には、女性保護的であった時間外労働や深夜労働の規制を撤廃しました。また、2007年には、男性の差別を禁止して、看護師や保育士にも男女が就くようになりました。また、セクハラ防止は企業の責任だとうたったことも意義のあることです。ただし、国際比較の上では、日本はまだまだ開発途上なのです。 


企業成長のための人的資源熟考 


[プロフィール] 
佐野 陽子(さの・ようこ) 
慶應義塾大学名誉教授。1972年慶應義塾大学商学部教授。87年から2年間、日本労務学会代表理事。89年から2年間、慶應義塾大学商学部長・大学院商学研究科委員長。96年東京国際大学商学部教授。2001年から4年間、嘉悦大学学長・経営経済学部教授。主な著書:『はじめての人的資源マネジメント』『企業内労働市場』(ともに有斐閣)。 


[記事提供] 

(運営:株式会社アックスコンサルティング)

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