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税理士の佐藤です・・・「市川梨」230年の歴史

20.08.06 | 所長通信

皆さんこんにちは税理士の佐藤です・・・永かった梅雨も明け冷たい梨がおいしい季節になりました。梨は市川市を代表する特産物の一つですが、元々自然にこの地域に成っていた果物ではなく、江戸時代の一人の人物の情熱が実を結んだ結果市川市の名産になったのだと言うことをつい先日市川市の広報で知りました。

その人の名は川上善六さん、今から230年前ご当地八幡村で漢詩の一説から梨の栽培を思いついたと言います。鎌倉時代までは八幡神社の前まで海が広がっていたそうで、今の14号線辺りが海岸線だったようです。その為八幡の土地は砂地で作物が育たず周辺の農家の生活は楽ではなかったようです。
 善六さんは何とかこの土地に適した作物を作りたいと日夜頭を悩ませていましたが、葛飾八幡宮の祭祀で中国の漢詩の一節から梨の栽培を思い立ち、その後何年も浸食を忘れて梨の栽培に没頭しますが一向に成果が上がりませんでした。
 ある時美濃と尾張(岐阜県と愛知県の一部)で梨の栽培が盛んだと知り同地方を訪れると、土壌が八幡と全く同じ砂地であることに驚き、そこで栽培法を学び尾張藩の許しを得て丈夫な梨の枝を八幡に持ち帰ります。その枝を葛飾八幡宮の境内でつぎ木をして育てその後2000坪を借りて梨園を開きました。
 数年後梨の木は立派な果実をつけ、江戸市場で高値で取引されるようにまでなりました。善六さんはこの梨の栽培法を多くの農民達に広め、これが「市川梨」の起源になったと言われています。その後善六さんは、梨の枝の持ち出しを許してくれた尾張藩主に対して梨を毎年献上することを忘れなかったそうです。
 現在の事務所がある八幡の先代の一人の人の情熱が新たなものを産み出し、その後長年に渡って名産品として地域社会を潤し豊かにしてきたと言うことを初めて知り感激しました。川上善六さんに思いをはせて味わう梨は一味違うかも知れません。

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