細谷有子税理士事務所

ジャパニ

20.08.20 | 細谷NEWS

弊所の顧問先には、遠くネパールから働きに来ている人たちがいる。
ほとんどが、カレー店経営のオーナーやコックさんたちである。
彼らは母国で10年以上コックとしての経験を積み、ネパール料理のコック
として働くために日本へやってくる。
2~3年働いて日本に慣れてきたら奥さんを呼び寄せ、さらに二人で働いて
生活の基盤を作り 次に子供たちを呼び寄せる。

 弊所でもVISAの仕事をしているため、彼らが日本に家族を呼び寄せ
たいと相談に来る都度、その思いを聞き取り、申請書を作成し、許可が
下りた時には喜びを分かち合ってきた。
 家族は一緒に居れば、幸せなのだと ・・・・


 先日 NHKBSで「ジャパニ~ネパール 出稼ぎ村の子供たち~」という
ドキュメント番組をやっていた。

ヒマラヤを望む美しい自然に囲まれた村では、働き手のほとんどが
  日本に渡り、村は老人と子供ばかりになっている。
  そこでは、両親が日本に出稼ぎに行った子供達を「ジャパニ」と呼ぶ。
   ジャパニの一人である 9歳の少女 ビピシャ。
  彼女も生後すぐに祖父母に預けられ、両親の顔も知らずに育つこと
  になる。
  祖母を「お母さん」と呼び、自分の弟妹のように村の子供たちの
  面倒を見る。
  自分はジャパニではなく、ネパニだと叫ぶ彼女に両親と離れて暮らす
  不自由さは余り感じられない。
  
   東京にいる両親は、2DKのアパートに弟夫婦と同居しており、一日
  も休まず必死に働いている。
  田舎の不自由な生活ではなく、もっと文明的な生活にあこがれ。
  子供により上の教育を受けさせたいと仕送りをしてくる
  そのおかげで、村には学校が開校された。給食も支給され子供たちの
  未来は広がっていく。

   ビピシャの両親は、彼女を東京へ呼んだ。徐々に慣れさせようと
  3度目の日本だった。
  せっかくの再会にも、母親は仕事を失う心配から 朝と夜の仕事を
  休むこともできずに、毎日遅くにくたびれて帰宅する。
  待ちくたびれた子供との間にけんかが続く。

  父親は「ネパールの見えるところ」と言って、高層ビルの展望台へ
  彼女を連れていく。眼下に広がる夜景を指さして「きれいだろう!
  こんな生活ができるんだよ」
  「ネパールが見えない。こんなのきれいじゃない」
  泣きじゃくる彼女を父親は持て余してしまう。

   子供を挟んで、両親の本音がぶつかる。

   ビピシャはネパールに帰った。
  以前より大人っぽくなって、少し口数の少なくなった少女が居た。


 いつも陽気に笑っている彼らの抱えているもの。
 家族として同じものを求めているはずなのに、引き裂かれた溝が
 痛々しい。
 
 

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