大阪プライム法律事務所

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知床観光船事故と刑事責任の壁

22.05.14 | ニュース六法

4月23日に発生した知床半島沖合での観光船事故は、まことに痛ましいものです。乗客、乗員計26人のうち、これまでに子ども1人を含む14人が見つかりましたが、全員の死亡が確認されています。またロシアが実効支配する国後島沿岸で乗客と思われる女性のご遺体が発見されたという情報も入ってきています。
報道によると、事故当日は、現場海域は波が高く風も強かったことから、他の業者らが観光船の船長に出航をやめるよう事前に忠告していたのにも関わらず出航したようです。船長と機関士はいまだ行方不明であるし、誰一人事故当時の状況を証言できる者がいません。船体が引き揚げられれば、そこから事故状況がある程度推測できるかもしれませんが、それも実際に可能なのかも先が見通せていません。そのような中、今後の刑事事件としての法的な処理がどうなっていくのか、気になるところです。予測も交えながら考えてみました。

■会社社長の刑事責任について
第1管区海上保安本部などは、「業務上過失致死」、「業務上過失往来危険」の容疑で、運航会社である「有限会社知床遊覧船」の事務所や社長、船長の自宅の家宅捜索等の捜査に着手しました。今後、会社社長などの刑事責任追及が本格化することになりますが、SNSをはじめ世間の反応は、会社社長が刑事責任を負うのは当たりまえという雰囲気です。しかし、実際はそれほど簡単なものではありません。 

■これまでの報道で出てきたずさんな運航会社の状況
①他の観光船はGWに入る4月30日からの運航なのに、同社のみ一週間早く運航を開始していたこと(複数の観光船が近くで運航していたら救出も容易であったはず)。
②強風・波浪注意報が発令され、漁業者の多くは操業を見合わせる中で出航したこと。
③事故当日の朝、船長は別の観光船運航会社の従業員から「今日は海に出るのをやめておいたほうがいい」と忠告されていたこと。④
④数か月前から船と運航会社とを結ぶ無線機のアンテナが壊れていたのに出航したこと。
⑤事前に届け出された緊急時の連絡手段は衛星電話であったが、修理のために外されていたこと、そのために届け出は船長の携帯電話に変更されたが、航路上のほとんどが圏外であり、船長もこのことは認識していたこと。
⑥運航会社が定めていた運航基準や安全管理規定にも違反していたこと。
⑦ここ2年ほどで船長が頻繁に入れ替わるなどしており、操船経験が豊富なベテランの船長や、整備・運航ノウハウに熟知するスタッフが少なくなっていたという証言があり、事故当時の運航について「操船技術が未熟」と指摘されていたこと。
⑧昨年にも、漂流物との衝突事故を起こし3人が怪我をする事故を起こし、その翌月には座礁事故も起こしていたこと。
⑨冬季間の運航休止中の陸揚げ時に、船体に15cmほどの亀裂損傷が生じていたことが確認されていたが船体の修理を実施することなく越冬していたこと(ただし、事故2日前に網走海上保安署が任意で行った安全点検では特に問題はなかったとしている)。
⑩位置情報機器GPSプロッターが船体に取り付けられていなかったこと(ただし法令違反ではない)。
⑪運航会社の社長は自らを「運航管理者」として届け出をしていたにも関わらず、その自覚がなく、事故当時には事務所を留守にしていたこと。
⑫被害者家族への説明会の際に運航管理者は船長だった等といくつかの間違った説明をしていたこと。
⑬運航会社の社長は、自らを運航管理者として届け出をした際、実務経験などの要件を満たしていないのに虚偽の届け出をしていたことなど。

これ以外にも、様々な疑惑が生まれているが、全体を通して遊覧船運航の安全対策は杜撰極まりないもので、「乗客の安全を最優先する」という意識があったのか疑問です。 

■現行の「業務上過失致死罪」での刑事責任追及の困難性
本件のような多くの人が死亡する事故が発生した場合、加害個人その者に対して事責任追及がなされますが、それは刑法の「業務上過失致死罪」によって行われます。法人事業者の組織的な過失そのものを犯罪として問う制度は現時点では存在していないからです。

ちなみに、海上保安本部などが運航会社の事務所等を家宅捜索した際の容疑罪名に、「業務上過失往来危険罪」(刑法第129条2項)というものもありましたが、これは、業務上の過失によって、汽車・電車・艦船の往来の危険を生じさせ、又はそれらを転覆・沈没・破壊させることによって成立する犯罪で、対象となる「業務に従事する者」は、汽車・電車・艦船の交通往来に直接従事する者及び間接に従事する者で、船長、機関手、航海士等です。具体的な危険の発生を要するものとなっていて、この点で会社社長等をこの罪の対象とすることは困難かと思われます。また、この犯罪の結果、人が死亡してしまった場合については、業務上過失往来危険等致死罪のような刑罰規定はないので、人の死亡の結果を問うには、刑法の「業務上過失致死罪」で進めるしかありません。

その場合、過失で事故を起こした船長や運転手などが生存していれば、その個人の刑事責任は追及しやすいのですが、会社代表者等の個人の刑事責任に関しては、大きな壁が存在しています。このため有罪とされて刑事処罰に至った例は少ないのが実情です。

その例としては、JR西日本が起こした「福知山線脱線事故」(2004年)で、検察が一旦不起訴にしながら察審査会の起訴議決によって起訴された歴代3社長は、いずれも無罪判決が確定しています。これ以外にも、中日本高速道路笹子トンネルの崩落事故(2012年 9名死亡)では中日本高速道路関係者は全員不起訴で終わっています。

■立ちはだかる壁
その壁は業務上過失致死傷罪の要件にあります。
本罪は、業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させることによって成立します(刑法2211条前段)。つまり、①予見が可能であったにも関わらず業務上必要な注意を怠ったこと、②「人の死傷害」という結果の発生、③その間の因果関係の存在、の3つの要件が充たされなければなりません。

この中で、①の要件に含まれる「予見可能性」の立証が最大の壁になっています。過失とは一定の業務に従事する者に要求される注意義務を怠ったことです。この注意義務は、ある一定の結果を予見(予測)すべき義務(結果予見義務)と、一定の結果を回避すべき義務(結果回避義務)から成り立っています。予見できないことや、予見できても事故の発生を回避できない場合まで責任を負わされることはないというのが現行刑法の原則だからです。つまり、事故の場合は、故意の殺人とは異なり、何らかの予期せぬ事情によって、人の死亡という結果が生じたものですが、それが予見可能だった場合に、さらに事故を回避する措置をとることが可能だったことが証明されないと同罪による処罰はできません。

この立証にあたって、きわめて重要になるのが、事故時の状況です。どのようにして事故が発生したかが分からないままでは、予見可能性や結果回避可能性を議論できないからです。しかし、事故の直接の当事者である船長や運転者などが死亡していたり、目撃者がいなかったりした場合は、その供述が得られないために、これらの事実が解明できません。このことが、重大事故で多数の死傷者が出ても会社役員個人の刑事責任を問うことが困難だというのが実情です。

このことは、今回の知床観光船事故における会社社長の業務上過失致死罪による刑事責任の追及が容易でない理由といえます。まずは、沈没原因からして、船舶が引き揚げられないと、どういう理由で沈没したのかの客観的証明ができません。その解明ができないと、予見可能性や結果回避可能性の議論にも行けなくなります。極端な話、何らかの外的要因(社長は「クジラに突き上げられて船体が損傷した可能性」を語ったこともあるようです)で沈没した可能性がゼロでないならば、有罪立証の大きな壁になります。被害者感情、社会の処罰感情だけで処罰できないことは、現行刑法の基本的大原則ですので、今回だけ別だとは言えないのが、もどかしさを感じるかもしれません。

■重大事故遺族が求めている「組織罰」について
このような加害側事業者が、安全対策面でずさんな面があったがために、多くの人の命が落されてしまった場合に、上述のような壁で、事業者側に刑事責任等の法的責任を問うことができないことに、やり場のない怒りと悲嘆が繰り返されてきました。
これについて、福知山線脱線事故以降、こうした思いを抱いた遺族の方々が立ち上がって、「組織罰を実現する会」が結成され、「重大事故の業務上過失致死罪に両罰規定を導入する特別法の制定」をめざしています。現行の法制度では、法人事業者の組織的な過失を犯罪として問うことができない一方、直接の当事者の運転手・船長等は死亡していると、それ以上の刑事責任追及が止まってしまう可能性が高いからです。このため、重大事故があった場合の処罰を「個人の責任追及」から「事業者自体の責任追及」中心に転換させようというものです。この場合の法人等の責任の根拠は、「行為者に対する選任監督上の過失」としたものです。これにより、事故の刑事責任の追及を、「個人」から「事業者(多くの場合法人)」に転換できることになります。

さらに、「代表者処罰規定」の導入の声もあります。組織罰といっても法人自体を処罰するだけであるため、結局は罰金刑しか選択不可能であるとして、「経営陣の安全軽視への処罰」として、事業者(会社法人)に対する刑罰に加えて、さらに法人事業者の代表者個人に対する刑罰の導入も検討すべきという意見です。刑法学的な問題点は多くありますが、今後、こうしたことも議論として浮上するかもしれません。

(写真 1枚目 知床岬 2枚目 国後島)

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