組織の未来を探究する!#24
≪特別ゲスト≫株式会社レミントン 代表取締役 坂田様をお招きして part2
・「上が言っていることはバラバラ」への対処
・ハンドブックの効果
・ラクな経営をするために何をするか
≪特別ゲスト≫株式会社レミントン 代表取締役 坂田様をお招きして
・社長だがついつい現場に介入してしまう
・A派とB派に分かれて組織が分裂
・ルールを作るが真っ先に破るのが社長自身
・ルールではなく「型」をつくる
・「絶対使え」ではなく「使いたいときに使って」
社員が自然と「うちっていい会社だなぁ」という話ができる素敵な企業の話
・「うちの会社のいいところ」をわーっと書き出す会社
・幸せを感じながら働ける会社
・社長が「自分が社員だったら・・・」を考える
・「やらせる/やらされる」の構造
・部署を超えた対話の継続の価値
個人のWillをベースにしたとき誰もやりたがらない仕事はどうする?
・誰もやりたがらない「穴」への対処方法は?
・組織としての「穴」が埋まるために大切なポイントは?
・「頑張ってるのに評価してもらえてない」への対処方法は?
組織の中で個人のWillを活かすには
・組織の中で個人のWillを活かすには?
・「会社のWill」ってあるんだっけ?
・Willベースの役割分担と、Willを無視した役割分担の違いは?
・「重複」や「穴」に、どう対処したらよいのか?
・内発性を担保したまま役割分担がいかに行われるのか?
子どもの自己選択する力を育む
・「宿題やりたくない」という子供にどう接するか?
・ロジャースの三原則から学ぶ子供への接し方
・「選択肢は色々ある」と思えるかどうかの重要性
・親自身がどのように考えているのか?
子ども扱いしない?社会の厳しさをどこで教えるのか?ヨーロッパと日本の教育の違い
・フリーエージェント社会に必要な教育とは?
・「お前はどうしたいんだ」を問うドイツ
・デンマークでは「生まれた瞬間から社会人」
・小さいうちから民主主義を教える
教育のあり方を探究する
・「人と比べることでしか、自分の価値を感じられない」ってどうなの?
・「勉強しなさい」が持つ象徴的な意味は?
・マルクスが言った資本主義社会における「阻害」とは?
・大人は子供にどんな関わり方ができるのか?
「どうしたら本当に機能する共有ビジョンをつくれるのか?」
・「みんなのビジョン」共有ビジョンを作るには?
・共有ビジョンを作る基本の3ステップ
・共有ビジョンを作るビジョンツリーの使い方
・意味ある共有ビジョンにするために大切なこと
「同一労働同一賃金について」
・そもそもどんな経緯から生まれてきたのか?
・正社員と、パート・アルバイト・派遣社員は同一労働なのか?
・出向、地方赴任などを「命令」することの是非
・LinkedIn創業者の言う「終身信頼関係」とは?
・ダニエルピンク「フリーエージェント社会の到来」の考え方
■ヒューマンセンタードの組織で重要な要素とは
・人がイキイキ働けるHumanCenteredの要素とは
・今の組織から、HumanCenteredにシフトしていくには
「ヒューマンセンタードとは?」
・人間の創造性や、多様な価値に注目する必要性が増している背景
・金銭換算できること以外の価値
・戦後の日本社会の状態と、近年の日本社会の状態の違い
★組織の未来を探究する!#12
「いい会社ってどんな会社?その2」
・しっかりと本音の対話ができているかどうか。
・物事をプラスで解釈する力。
・情報を隠しておくのが難しい社会になってきている。
・パートナーとしてやっていくには透明性は大事。
「いい会社ってどんな会社?」
・役員と社員の大切にしているものが一致しているか?
・「いい会社」は誰目線なのか?株主か、社員か、それとも?
・人が仕事や会社に求めるものは?
・多様性に対してどれほど対応するのがいい会社なのか?
【組織の未来探究チャンネル】#10
AIやロボットなどのテクノロジーの進歩は働き方をどう変えるのか?
ピンチなのか?チャンスなのか?
・これからの働き方は?キャリアの描き方は?
・「特許」という概念をどう扱うか?
・職業再訓練の機能は、会社が持つのか?社会が持つのか?
・これからの社会人が持つべき意識とは?
・「キャリアデザイン」の時間はどこで持つものなのか?
・「いつAIに職が奪われるか分からない」時代はピンチなのか?チャンスなのか?
#08 オリンピック委員会の問題から考える
人事領域の透明性を高めるために重要なこと
・五輪組織委員長を選ぶ議論はオープンにできる?
・社員の「家庭の事情」も共有するのか?
・心理的安全性と透明性のベストなバランスとは?
・評価者/被評価者の構造自体をどう見直すか?
・組織によって求められる透明性の度合いは違う?
・「情報を知った側」に求めらる責任やリテラシーとは?
組織の未来を探究する!
#06 組織のベースの人間観の重要性と関係づくりの時間を確保するコツ
・デンマークにあるヒュッゲという概念とは?
・自分のいる職場はどんな人間観か?
・上手くいくのは、小さく始めるのか?トップからの号令で行うのか?
・「私」が職場をよくしていく際のコツは?
組織の未来を探究する!
#06 組織のベースの人間観の重要性と関係づくりの時間を確保するコツ
・デンマークにあるヒュッゲという概念とは?
・自分のいる職場はどんな人間観か?
・上手くいくのは、小さく始めるのか?トップからの号令で行うのか?
・「私」が職場をよくしていく際のコツは?
給与は、一般的に「労働の対価」として支払われます。
このことは、従来型人事制度も米国型ノーレイティングも同様です。
もちろん双方とも、実際の運用では生活保障的な意味合いでも給与が支給されていますので、労働の対価とは言えない部分もあります。
しかし、本質的に給与制度が目指しているのは、「組織成員の貢献を金銭的価値に置き換える」ということです。
このコンセプトは、2つの前提のうえに成り立っています。
1つ目は、社員さんの貢献を数値化することが可能だという前提、
2つ目は、金銭的報酬によって社員さんのモチベーションが上がるという前提です。
しかし、この2つの前提が間違いだということは、このメルマガのなかでこれまでにお伝えしてきた通りです。
実際には、社員さんの貢献を完全に数値化することは不可能ですし、仮に数値化できたとしても、その数値によって決定した給与によって社員さんのモチベーションは上がらないのです。
米国で導入が進んでいるノーレイティングは、この点に気づき、組織成員を画一的な基準で「査定」することを廃止し、給与決定の裁量を管理職に一任しました。
しかし、給与を「労働の対価」と位置づけている限り、2つの前提の延長線上であることに変わりはありません。
給与を「労働の対価」と位置づけること自体を変えなければならないのです。
では、どのように位置づければ良いのでしょうか。
この問いに対する答えが、給与を『投資』と位置づける、という考え方です。
ここで、いろいろな意味で使われる「投資」という言葉を、どのようなイメージで使っているのかについて共有しておきたいと思います。
投資家の関心事は、投資収益率です。要は「どれだけ儲けるか」を考えています。
だから、人員削減計画を発表すると、株価が上がったりします。
しかし最近は、社会貢献を志向する組織に投資することで、長期的なサポートを行う投資家も増えています。
私が「給与=投資」と定義するところの「投資」のイメージは、当然ながら後者です。
デイトレード的な収益のためだけの投資ではなく、事業を育てるための長期投資のイメージで「投資」という言葉を使っています。
私が、「投資」という言葉には誤解が生じる可能性があることを承知のうえで、それでも「投資」という言葉を使っているのは、この「投資」という考え方は、組織側だけではなく、組織成員一人ひとりに必要となる考え方でもあるからです。
その考え方とは、下記にある「給与=投資」に込めた3つの意味になります。
① 未来志向:過去の実績ではなく、未来の貢献によって給与を決める
② 総合判断:一人ひとりを、部分的ではなく全体を総合的に評価する
③ 自己申告:社員さんから組織に対して、自分の貢献や給与を申告する
次回から、一つひとつの項目について解説していきます。
多くの企業・組織で、自分の給与に不満を持っている人は多いかと思いますし、社員さん向けのサーベイを実施すると「給与に不満がある」という回答をされる社員さんがたくさんいらっしゃいます。
一般的に、人事の世界では、給与への不満の多くは「評価に対する不満」だという解釈がされることが多いのですが、私はそれだけではないと考えています。
もっと根本的には、給与への不満は、「自分が知らないところで決まっている」ことへの不満だと考えています。
給与というのは、社員さんにとっては生活の糧でもありますし、人生にとっても重要な要素です。
その自分の人生にとって重要なことを、自分の知らないところで決められているということに対する反発心のようなものが、給与への不満の根っこにあるのだと思います。
そのような反発心は、私はとても当然のことだと思いますし、その意味で言うと、一般的な給与制度は「民主的」ではないと感じています。
ウィキペディアでは「民主主義」を
「組織の重要な意思決定を、その組織の構成員(人民、民衆、大衆、国民)が行う、即ち構成員が最終決定権(主権)を持つという政体・制度・政治思想」
と定義していますが、もっと簡単に言うと、
「民主的」とは、「大事なことは話し合って決めよう」ということです。
給与という大事なことを決める話し合いのテーブルに、本人が就けないというのは、やはり「民主的」ではないと思います。
給与を自己申告にしてもらう取り組みは、給与決定プロセスを「民主的」にする試みです。
プロセスを民主的にすればすべてが解決するとは思ってはいませんが、少なくとも社会のあるべき姿には近づくと考えています。
「大事なことは話し合って決めよう」という価値観の背景には、「人は自分で決めたことには責任感が出る」という人間観があります。
私は、この人間観から自己申告型給与制度を発想しましたし、実際に自己申告型給与制度の設計・運用のサポートを通して、この人間観によって企業・組織を運営する方が、組織側にとっても社員さん側にとってもよい影響が出るということを実感しています。
次回からは、実際に自己申告型給与制度とはどんな取り組みなのかについて、お伝えしていきたいと思います。
私が考えるノーレイティングの根本にある価値観とは、
「人は、自分で決めたことは情熱を持って行動し、その行動そのものが喜びとなる」
という「内発的動機づけ」の考え方だと思います。
内発的動機づけとは、外からの刺激によって動かされる(=外発的動機づけ)ではなく、自分の内から湧き上がってくる意欲によって行動することを指します。
一般的な人事制度に存在する「レイティング(=点数づけ・ランクづけ)」は、その内発的動機づけを阻害してしまうので、「レイティングを廃止しよう」というコンセプトを持つノーレイティングが生まれました。
この考えに私も共感しますが、レイティングを廃止しても、結局のところ給与を決めるのは「他者(上司)」という仕組み自体は変わっていません。
レイティングという目に見えやすいモノを、ブラックボックスに入れて見えにくくしたというだけです。
それでも、一定の効果はあると思います。
レイティングという要素を排除し、上司と部下のコミュニケーションのテーマを、「部下の査定」ではなく「目標達成のためのサポート」に集中できるようにする取り組みは、非常に価値のあることだと思います。
しかし、給与を決定するのは上司だという、給与の決定プロセスは変わっていません。
たとえば、何か商品やサービスを販売するときに、売り手側が価格を決められないということは、ビジネスとして正常な状態ではありません。
もしそういう状態ならば、圧倒的に買い手側の力が強く、売り手側の意思が無視されているということであり、異常な状態であると言えるでしょう。
しかし、給与決定の場面では、その異常な状態が当たり前になっています。
このような状態では、組織と社員がお互いを尊重しあうパートナーになるのは、かなり困難だと思います。
組織側が圧倒的な力を持っている状況下で、組織と社員がパートナーになるには、組織側(経営者・管理職)に自分が持っている力を自制することが求められますが、そのような組織側の自制心に依存するような仕組みは望ましくありません。
また反対に、社員側では、「自分で給与を決められない」という構造によって、「組織側が自分のやる気を高めるべきだ」「自分のやる気が高まらないのは組織に問題がある」という論理にも、容易に発展していきます。
そこで私は、ノーレイティングの根本にある価値観を給与決定にも反映させ、給与決定に本人が参画するプロセスに変革する必要があると思うのです。
このことについては、次回に詳しくお伝えできればと思います。
管理職が、その権限において部下の給与を決定するということは、部下が給与に不満を持っている場合には、その不満が管理職に向けられるということです。
管理職に対して、面と向かって不満を言う部下がいなかったとしても、管理職は「部下が自分の決定に不満を持つかもしれない」という恐怖心を抱きます。
従来型人事制度では、給与を決めるのは、あくまでも「給与制度」でした。
評価基準に基づいて「査定」をするのは管理職ですが、その査定結果に連動させて給与の「額」を決めるのは給与制度でしたので、良いか悪いかは別として、給与額に関しては、管理職は責任を感じる必要がなかったのです。
少しイジワルな言い方をすれば、管理職も部下と一緒に「ウチの給与制度は問題だ」と不満を言っていればよかったのです。
しかし、ノーレイティングではそれができません。部下の給与額を決めるのは、自分なのです。
もし部下が給与について不満を持ったならば、それは管理職である自分の意思決定への不満ということです。
このことはかなりのプレッシャーになりますので、米国型ノーレイティングでは、管理職にかかる精神的な負担が大きくなる場合があります。
精神的な負担とともに、もう一つ管理職に求められることは、米国型ノーレイティングでは管理職が非常に高いコミュニケーションスキルやコーチングスキル、フィードバックスキルを発揮することが成立の条件になっていることです。
米国型ノーレイティングでは、管理職と部下が高い頻度でコミュニケーションをとることを求めます。
そのことによって、部下の成長をサポートし、目標達成を支援し、給与額への納得性を高めることが目的です。
その目的には賛成なのですが、日本の中小規模の組織では、現場のプレイヤーとしては優秀であっても、マネジメントに関する知識やスキルに乏しい管理職がたくさんいます。
また、自分もプレイヤーとして動いている管理職ならば、部下とのコミュニケーションの時間を捻出するマネジメント力も必要となります。
したがって、いきなり米国型ノーレイティングを導入して、部下の給与決定の責任と、部下との高頻度のコミュニケーションを高いレベルで実施することを管理職に課すのは負担が大きいと考えます。
誤解のないように言っておくと、ノーレイティングよりも従来型人事制度の方が良いと言っているのではありませんし、管理職が部下の給与を決定することに反対なのでもありません。
それどころか、本来ならば、部下の給与額を決めるのは管理職であるべきだと考えていますし、そのためにもっと高頻度で部下とコミュニケーションをとることを促進すべきだと考えています。
しかし、現在の日本の中小規模組織の状況を考えた時に、部下の給与決定を管理職一人に担わせ、かつ部下との高頻度のコミュニケーションまで求めるのは負担が大きいと思います。
米国型ノーレイティングのコンセプトには賛成ですが、日本の中小規模の組織においては、方法の面で少し工夫が必要だと考えています。
次回は課題の3つ目をお伝えし、方法面での工夫については次々回でお伝えいたします。
私が考える米国型ノーレイティングの課題は、下記の3つです。
① ある程度は実力に見合う給与が支払われている必要がある
② 管理職に高いスキルが求められる
③ 本質的には給与の決定プロセスが変わっていない
1番目の課題は、米国型ノーレイティングでは、現状でも実力に近い給与が支払われている必要があるということです。
米国型ノーレイティングでは、制度によって社員さんの点数づけやランクづけを行わない代わりに、管理職が部下の給与を決定することになります。
ここで問題になるのが、社員さん一人ひとりが、自分の給与額に対してどれだけ不満を抱えているかということです。
当然ながら、現状において給与額への不満が非常に大きい場合は、管理職が給与を決定するノーレイティングに移行すれば、自分の給与額への不満は管理職への不満に転化します。
さらに言うと、米国型ノーレイティングを導入している企業の多くはグローバル企業であり、元々の給与水準が高いということがありますし、米国は職種別の労働組合が発達したという歴史的な経緯があったり、雇用契約も職種に対しての契約であったりするので、職種によっての給与相場が見えやすいという事情があります。
これらのことから、ノーレイティングを導入している米国の企業の多くは、従来から職種別の労働契約に基づいた実力主義・成果主義の人事制度を運用することによって、実力に応じた給与額になっており、給与額への「不公平感」が少なかったと考えられます。
ちなみに、ここで「不公平感」という言葉を使ったのは、給与額への「不満」、つまり「もっと高い給与がほしい」という感覚はあったとしても、「今の自分の職種と実力ならこれぐらいでも仕方ない」という「理解」があったという意味です。
そのような事情で、米国のグローバル企業には、従来型人事制度による過去実績の点数づけやランクづけなどの議論に時間を費やすより、目標を達成するための対話に時間を使った方が建設的だというノーレイティングのコンセプトが機能しやすい背景がありました。
当然ながら、日本の中小企業では事情が違います。
私の経験上でも、日本の中小企業では、まだまだ属人的な要素(年齢や入社年数)が給与決定に影響を与えている場合が多く、実力に見合っていない給与になっているケースがたくさんあります。
このことは、米国型ノーレイティングを導入するときに、検討しなければならない課題だと思います。
次回は、課題の2つ目について解説したいと思います。
米国企業での導入が話題となり、組織のパフォーマンス・マネジメントを革新する手法の一つとして、日本でも「ノーレイティング」が注目されるようになってきました。
数年前の話になりますが、ゼネラル・エレクトリック(GE)が9ブロックという人事評価のフレームワークを廃止したという情報は、人事業界ではかなりインパクトのあるニュースだったかと思います。
こういう新しい経営手法は海外からの輸入が多いのですが、紹介される論調の多くは、
「海外企業ではこんなことをやっている!」
「日本企業は遅れている!古い!」
という主張になっていることが多いように見受けられます。
ひと昔前に流行した「成果主義人事制度」も代表例と言えますが、現在ではノーレイティングが組織活性化の特効薬のように語られることもあります。
しかし、それぞれの組織によって課題が違うので、どの組織にも効く特効薬などあり得ないわけですが、新しい手法が出ると「カタチ」だけマネする組織が出てきます。
私の個人的な見解は、日本企業もノーレイティングを検討する価値があると考えています。
しかし、ノーレイティングが生み出す変化の核にあるのは、手法の変化ではなく、組織観・人間観などの「哲学」の変革ですので、カタチだけ取り入れてもうまくいかないでしょう。
私が大切だと考えることは、ノーレイティングを導入するかどうかを検討するプロセスのなかで、
「この組織のありたい姿は?」
「つくっていきたい組織と社員の関係性は?」
「人間の本質とは何なのか?」
「どのような社会をつくっていきたいのか?」
という、すぐに答えが出るわけではない、深い『問い』と真剣に向き合うことだと思います。
経営陣や管理者層がこれらの「問い」に真剣に向き合うことで、仮にノーレイティングの仕組みそのものを導入しなかったとしても、組織運営のスタイルが変わっていくはずです。
私がノーレイティングをお勧めしているのは、このためです。
現在のノーレイティングへの注目が、単なる「テクニックの模倣」に終わらないことを願っていますし、このメルマガでは本質に関わる情報を発信していきたいと思います。
次回からは、米国型ノーレイティングの課題を明らかにし、その解決策を提示していきたいと思います。
まず、ノーレイティングへの誤解に入る前に、ノーレイティングへの認知度が高まるにつれて、明らかに間違った情報も目にするようになりました。
ある月刊誌で「ノーレイティング導入」についての特集があったのですが、「ノーレイティング」と称して、点数づけや点数の正規分布への調整などの「レイティング」の手法が書かれてありました。
このように、明らかに間違った情報もありますので、ご注意いただきたいと思います。さて、本論に入ります。
ノーレイティングについての誤解としては、下記の3つが代表的なものとして挙げられるかと思います。
① ノーレイティングでは、人事評価がない
② ノーレイティングによって、管理職に大きな負担がかかる
③ ノーレイティングを導入しないと時代に乗り遅れる
1番目の「人事評価がない」という誤解については、以前にもお伝えしましたが、ノーレイティングでは、点数づけやランクづけという「人事査定」は廃止しますが、部下の長所や課題を明確にして成長をサポートする「人事評価」は行っています。
点数づけやランクづけは行わないですが、上司から部下へのフィードバックはより頻繁に行うことになります。
ノーレイティングが日本で紹介され始めた頃に、目を引くために「米国のグローバル企業が人事評価を廃止した」というキャッチコピーで紹介されることが多かったことが影響していますが、これは誤解を招く情報です。
2番目の「管理職の負担が大きくなる」については、たしかに部下の給与決定を行うことになりますし、今まで以上に部下と頻繁にコミュニケーションをとる必要性が増しますので、そのように見えるのはある意味で仕方のないことです。
しかし、私の考えでは、従来型人事制度からノーレイティングに移行することで、上司として時間をかけて行うべき業務に集中できるようになります。
従来型人事制度では、部下が納得するような点数づけを行ったり、部下の点数を正規分布に調整したり、部署間でも点数を調整する必要もあったり、非建設的な業務に時間を費やす必要がありました。
しかし、ノーレイティングでは、部下の点数をつける必要がありません。部下の点数を正規分布に調整する必要も、部署間で調整する必要もありません。
従来型人事制度で必要とされてきた非建設的なそれらの時間を、部下の目標達成を支援したり、成長をサポートすることに使えるようになります。
管理職の役割が、部下の「査定者」から「支援者」に変わることになります。
たしかに、ノーレイティングでは、部下とのコミュニケーションをより密接にとることを求められますので、大変といえば大変だと思います。
しかし、部下の支援者としての役割は、管理職の本質に近い業務だと思いますし、管理職という役割を担うことによる「本当の喜び」を感じられると思います。
少し長くなりましたので、「ノーレイティングへの誤解」の3番目については、次回に解説したいと思います。
かなり以前から、もっと正確に言うと1960年代後半から、心理学や脳科学の研究によって、外発的動機づけが創造性や主体性を奪うことは明らかになっていました。
ようやくノーレイティングによって、それらの研究結果が人事制度に落とし込まれることになりました。
私は、ノーレイティングの広まりは、人事制度が人間の本質に近づく第一歩になると考えています。
そして実際に、私が経営する生きがいラボでは、2010年から「社員さんに点数をつけない」「評価と給与を連動させない」というノーレイティング型人事制度を提唱してきました。
なぜ従来型の人事制度とはまったく異なる人事制度を提唱し始めたかと言うと、さまざまな心理学や脳科学の研究結果を考察した結果であり、人間の本質に根ざした人事制度でなければ、仕事を通して「生きがい」を感じられる環境づくりは難しいという問題意識を持ったからです。
この問題意識の背景には、2つの経営環境の変化がありました。
① 外発的動機づけ(金銭的報酬による動機づけ)が不可能になった
② 心の豊かさを求める傾向が強くなってきた
1番目は、経済の長期的な停滞によって、昇給や賞与によって動機づけすることが「物理的に」困難になった、ということです。
外発的動機づけというのは、効果が短期間ですので、常に与え続けなければなりません。
しかも、より強い刺激を与え続けないと、現状のモチベーションを維持することさえできません。
つまり、社員さんのモチベーションを保とうとすれば、昇給額(率)や賞与の増加額(率)を上げ続ける、ということが必要だということです。
これは、これからの日本では難しくなると考えられますから、外発的動機づけではモチベーションが下がるということです。
2番目は、物質的な豊かさが心の豊かさに直結しないことが、自殺や精神疾患の増加などを通して明らかになったということです。
物質的な豊かさとは、多くの場合には「他者との比較」によって生まれます。
自分の所得や生活レベルが高まったとしても、他者がそれ以上のレベルにいるならば、豊かさは感じられないのです。
金銭的報酬は、容易に他者と比較できますから、それを追求し続けても、永遠に「心」の豊かさは得られないのです。
私は、日本社会のなかで、意識的か無意識かの違いはあれど、そのことに気づき始めた人が増えてきているように感じています。
つまりは、社会全体が「内発的動機づけ」を求めているように感じています。
これら2つの理由から、「ノーレイティング」・・・言い換えると「内発的動機づけ」を喚起する人事制度への変革は、日本社会にとって有意義だと考えています。
また、実際にこれだけ「ノーレイティング」が話題になるということは、私と同じ考えの人がたくさんいるということだと思います。
しかし、話題になることが増えるにつれ、ノーレイティングへの「誤解」や「事実と異なる情報」も目立つようになりました。
次回は、この点について解説したいと思います。
アメリカのグローバル企業がノーレイティングに舵を切った理由は、組織・個人のパフォーマンス(業績・成果)を高めるために、
「内発的動機づけが必要不可欠になった」
ということが挙げられます。
内発的動機づけとは、仕事をする理由が「楽しい」「おもしろい」「やりがいがある」というように、仕事そのものが動機になっているということです。
このことをフロー理論のミハイ・チクセントミハイ氏は「自己目的的」と呼んでいますが、何か別の目的(報酬)のために仕事をしている状態ではなく、仕事そのものが(心の)報酬になっていることをいいます。
内発的動機づけの逆が「外発的動機づけ」ですが、言葉の通り、外からの刺激(アメとムチ)で人を動かそうということです。
従来型人事制度は、給与額やその根拠とされる評価点によって、組織成員を思う通りに動かそうという構造ですが、心理学や脳科学の研究によって、それではパフォーマンスが高まらないことが明らかになりました。
高まらないどころか、逆効果であることが分かってきたのです。
外発的動機づけによる従来型人事制度は、効果が低いだけではなく弊害さえあることが分かってきたので、内発的動機づけを喚起するためにノーレイティングが考えられました。
つまり、ノーレイティングは、従来型人事制度の延長線上のコンセプトではなく、まったく逆のコンセプトに基づいています。
次に、内発的動機づけが必要になった大きな理由として、
「創造性を発揮しなければならない仕事が増えた」
ということがあります。
このことはずいぶん前から言われていたことですが、成熟した経済のもとでは、成果をつくるには創意工夫が必要です。
創造性や主体性、情熱がなければ、よい結果を出し続けることが難しくなりました。
言い換えると、「仕事をやらされている」という意識では、これからの社会では良い仕事はできないのです。
やらされ感で仕事をしていると、どうしても意識が現状維持になり、そこに創意工夫するという意欲が湧いてきません。
もっとひどいケースでいうと、「いかに怠けようか?」「いかにごまかそうか?」という意識が働いてしまうこともあります。
それは、組織側だけではなく、社員さんの職業人生を長い目でみれば、社員さんご自身にとっても望ましい状態ではありません。
このような背景があり、従来型人事制度とはまったく違うコンセプトの「ノーレイティング」が生まれたのです。
私は、この「ノーレイティング」という人事制度は、組織や個人のパフォーマンスの向上ということだけではなく、もっと大きな社会的意義があると思っています。
次回は、ノーレイティングの社会的な意義について解説したいと思います。
ノーレイティングとは、その名の通り、「レイティング(=格づけや点数づけ)」を廃止した人事制度という意味です。
ノーレイティングの説明に入る前に、従来の人事制度の仕組みについて簡単に説明します。
このメルマガのなかでは、ノーレイティングと区別するために、レイティングを行う人事制度を「従来型人事制度」と呼ぶことにします。
従来型人事制度は、「等級制度」「評価制度」「給与制度」の3つの制度が、密接に“連動”する構造になっています。
組織成員を等級制度で格づけし、評価制度で点数をつけ、給与制度で点数に応じた給与額を決めるという仕組みです。
何によって給与額を決めるか(=何で評価するか)によって、
-属人主義 :年齢や勤続年数、家族構成などの属人的要素によって給与を決める。
-職能主義 :職務遂行能力(職能)によって給与を決める。コンピテンシーは職能の一部。
-職務主義 :担当する職務によって給与を決める。
-役割主義 :担当する役割によって給与を決める。
-責任主義 :担当する責任によって給与を決める。
-成果主義 :創った成果によって給与を決める。
などと、制度の呼び名が変わりますが、どの制度でも基本的な構造は等級制度・評価制度・給与制度の連動によって成り立っています。
従来型人事制度が持つ構造の本質は、「お金の刺激によって人を働かせよう」ということです。
ノーレイティングが、従来型人事制度と本質的に違う点は、「お金の刺激で働かせようとしない」という哲学に基づいていることです。
この哲学を仕組みに反映すると、「等級制度での格づけ」や「評価制度での点数づけ」がなくなります。
従来型人事制度では、期末に上司が部下一人ひとりを評価して、点数づけやS~Dなどのランクづけを行い、その点数やランクに応じて、昇給額(減給額)や賞与額を決定します。
ノーレイティングとは、この点数づけやランクづけによって給与を決定しないということです。
では、どうやって給与を決めるかというと、米国でノーレイティングを導入している企業では、管理職が部下の給与を決めています。これについては、次回のメルマガで扱います。
米国企業で導入が進んでいるノーレイティングの主要な特徴は「点数づけ・ランクづけの廃止」です。
ここで、よく誤解されているのが、「ノーレイティングでは人事評価がない」という情報です。
ノーレイティングが日本で紹介され始めた頃に、目を引くために「欧米企業が人事評価を廃止した」というキャッチコピーで紹介されることが多かった影響ですが、これは誤解を招く情報です。
このメルマガでは誤解を生まないために、「人事評価」と「人事査定」を別々に定義しておきます。
-人事評価 : 部下の現状を振り返り、成長課題を明確にすること
-人事査定 : 部下に点数づけやランクづけを行うこと
ノーレイティングを導入している企業は、「人事査定」は廃止していても「人事評価」は行っています。
なぜなら、人間が成長するためには、自分が現在置かれている状況や、自分の長所や課題を把握することが必要だからです。
つまり、部下の成長を促進するためには「人事評価」は有効ですから、ノーレイティングを導入している企業も「人事評価」を行っています。
一方で、ノーレイティング導入企業が「人事査定」を廃止した理由は、管理職が部下の「点数づけ」のために費やす時間は、部下の成長にとってあまり効果がないからです。
人事査定を行うことによって、管理職と部下の話し合いは「過去の実績をどう解釈するか」というテーマに、ほとんどの時間が費やされるようになります。
たしかに、過去の実績の評価も必要なことではありますが、それよりも大切なのは、
「経験を通して何を学んだのか」
「その学びを今後どのように活用していくのか」
「目標達成のためにこれからどんな取り組みを行っていくのか」
「そもそも目標は適切なのか」
という未来に向かって話し合うことです。
管理職と部下の話し合いに同じ時間をかけるとしても、「過去をどう解釈するか」あるいは「未来をどうしていくか」のどちらを話し合った方が建設的な時間になるかは、明らかでしょう。
当然ながら、未来について話し合った方が建設的であり、部下の成長も促進されます。
ノーレイティングの導入が急激に進んだのは、人事査定を廃止することで、管理職と部下が建設的なテーマで話し合えることが大きな理由です。
今回は、ノーレイティングの主要な特徴についてお伝えしました。次回は、ノーレイティングではどのように給与を決めるのかについてお伝えしたいと思います。