TFSグループ/TFS国際税理士法人 理事長 山崎 泰

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『志の道』と『山岡鉄舟』---今月のメッセージ(12月号)

14.05.30 | 【バックナンバー】山崎泰の月刊メッセージ(2014年5月まで)

2010年12月7日22:25:00

『志の道』と『山岡鉄舟』


今年もはや12月、本当に一年間お世話になりました。
11月下旬、出張で四国に出向いた際に、かねてより足を運びたいと思っていた念願が実現しました。

それは、『志の道』を歩くこと。政経塾の先輩である小野晋也・前代議士が、約10年前に地元の協力で愛媛県四国中央市新宮町に創った道。
自然に包まれた山間の村の道路沿いに、力強く生き抜いた先人の言葉が、全12の石碑に刻まれています。

松下幸之助、吉田松陰、勝海舟、佐藤一斎、西郷隆盛、安岡正篤---時間をかけてゆっくりと歩きながら、ひとつひとつの言葉と出会う。そのなかで、今を生きる人生の悩みや迷いを乗り越える言葉に出会う。たった一つの言葉でも良いので、そんなきっかけを見つけて欲しい――との願いを込めて、建てられた石碑です。

私自身、まさに様々な壁にぶつかり慌しく走り続けてきた一年を顧みて、忘れかけていた本来の自分自身を取り戻したいとの思いで、小野晋也先輩に碑の解説までして頂きながら、『志の道』を歩いてきました。

多くの深く胸に残る言葉のなかでも、とりわけ印象に残ったのが西郷隆盛の碑。

生命も名声も要らぬ 官位も要らぬ
という人間は始末に困る
この始末に困る人間でなければ
艱難を共にして 国家の大問題を処理することはできない


西郷隆盛が、山岡鉄舟を評して語った言葉です。

1836年江戸に生まれ、幼少から武術に極めて優れていた山岡鉄舟。1868年、幕臣として官軍の駐留する駿府に出向き、官軍の陣営の中を「徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」と威風堂々と進み、単身で西郷隆盛と会見するのです。
徳川慶喜の身柄を朝廷側に預けることだけは断固として拒みつつも、最終的に西郷隆盛と勝海舟との会談を実現させ、江戸城無血開城に導いたことは有名です。

明治維新後は侍従として明治天皇に仕え、明治天皇が最も頼りにしていたのが山岡鉄舟ともいわれています。
皇居に近い四谷に住んでいたこともあるといわれ、新宿区内で夏休みに山岡鉄舟を熱心に調べた小学生の研究ノートに、大いに感心したこともありました。

丁度、相前後して東京で山岡鉄舟に学ぶ勉強会がありました。
山岡鉄舟の覚悟が決まったのは、1852年、鉄舟16歳の時。父が脳溢血で倒れ死去したことに伴い、江戸へ帰った時とのことでした。

多くの人が山岡鉄舟に惹かれる最大の魅力は、覚悟の力強さ。
先のことを思わずに、見えも外聞もすべて捨てて、志のために前に飛び出したこと――それが西郷隆盛をして山岡鉄舟を高く評した所以だと、勉強会でも学びました。

『志の道』を歩く中で一番心に残る碑は、やはり今の自分に最も足りない、そして最も求めているもののように感じました。

ご縁のある皆様とともに、『志の道』を一緒に歩いてみたいと願っています。
そしてさらに、いつの日か私たちの地域でも『志の道』を創って、子ども達の世代に力強く生きる道標を残してみたい――そんな夢も抱きながら、残された師走の日々を過ごしていきたいと思っています。

皆様にとりまして、充実した良き師走の日々でありますこと、心よりお祈り申し上げております。

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