大阪プライム法律事務所

大阪プライム法律事務所

日本の優生思想~強制不妊手術問題

18.06.03 | ニュース六法

かつて、障がい者らに不妊手術が強制されていた時代がありました。しかも戦後の長い間でした。差別的な医療行為が「国益」「公益」を理由に続いていたのでした。しかも、国家がした行為とはいえ、当時は社会全体がこれに疑問を感じず、むしろ市民運動のように遂行されていたと聞いて、ただただ驚くばかりです。仙台、東京、札幌で70代の被害者の男女3人が国家賠償を求め提訴した今になって、ようやくこの問題が大きく報じられるようになりました。ただ、何十年も前の手術記録等があまり残されていないため、その救済は容易ではありません。「優生保護法」という名の法律は、どのような思想でできていたのでしょうか。

■優生保護法とは
この法律は1948年に制定されました。この法律では、①本人の同意を得た上で成人に対して行う優生手術と、②疾患の遺伝を防止するため優生手術が公益上必要と認められる場合の優生手術、が認められていました。②はいわゆる「強制不妊手術」です。遺伝性の疾患を有している人や、知的障がいや精神障がいのある人が多かったようで、10歳前後の少年少女も対象とされていたことが分かっています。 

優生保護法には2つの目的がありました。
①「母性の生命健康を保護する」
②「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」
これらの目的のために、不妊手術と人工妊娠中絶を行うための条件などを定めていたのが優生保護法でした。このうち、①は女性の妊娠・出産する機能を保護ためのもので、②が今回問題になっているものです。 

①はある意味で、女性の自由という意味では前進をしたものでした。明治13年につくられた刑法では、「堕胎罪」という罪があって、妊娠中絶が刑罰をもって禁止されています。戦前はこの堕胎罪が厳格に適用されていたため(国民を増やせという国家目標が絡んであいたのでしょうか)、女性は産まないという選択ができず苦しむ女性がいました。優生保護法の成立で、一定の要件のもとですが、犯罪とならずに産まないことを選択できるようになったのでした。

②は、欧米で進んでいた「優生学」が取り入れられた「近代科学」の顔をもった法律として成立しています。つまりは、「障がいをもつ子どもの出生は、その家族と社会の負担であって、そもそも本人の不幸だから、障がいをもつ子どもを産む可能性のある人の生殖機能を奪ってもよい」といった考え方でした。「子どもを産んでよい人」か否かを国が選別するもので、今から考えると、なぜ社会がそれに疑問を持たなかったのかと思います。

報じられたところによると、宮城県では1957年に「宮城県精神薄弱児福祉協会」という団体が発足し、障がい者施設を造る運動と並んで、優生保護の思想を広めることと、優生手術を徹底することを目的とした運動を展開して、多くの強制不妊手術の対象者を「見つけ出して」、手術室に送り込んでいたとのことでした。「社会の空気」という怖さを改めて思います。

■問題提起はNGOから
この問題が意識的に提起されたのは、1994年にエジプト・カイロで行われた国際人口・開発会議のNGOフォーラムにおいて、DPI女性障害者ネットワークからの参加者がこの問題を発表したときからでした。その翌年の中国で開かれた世界女性会議のNGOフォーラムでもワークショップが開催され、これらが契機になって、日本の障がい者団体が改正運動を展開して、政治主導のもと、ようやく1996年に優生保護法から優生にかかわる条項・文言が削除され、名称も「母体保護法」と変更になりました。 

■リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)
この問題に関して、リプロダクティブ・ライツというのが強く言われるようになりました。子どもを産むか産まないかは、人としての生き方の根幹に関わる決定であって、子どもを産み育てるかどうかを自らの自由な意思によって決定することは幸福追求権としての自己決定権(憲法13条)として保障されていると考えられています。そして、生殖能力を持って、子どもを産むか産まないか、いつ産むか、何人産むかを決定することは、リプロダクティブ・ライツ(性と生殖に関する権利)として、全ての人とカップルに保障される自然権的な権利でもあるというものです。そして、これらの決定は、最も私的な領域に属するもので、第三者の干渉、特に国による干渉を受けることなく、本人の完全なる自由な意思によって決定されるべきであるとされています。

ときどき、国会議員などが、「女性は3人以上産むべきだ」とかの発言をして、ひんしゅくを買っているのは、この考え方を全く頭の中にないからだと言えます。 

■優生保護という思想
相模原市の障がい者施設「津久井やまゆり園」で発生した入所者19人の刺殺事件は、いまだ記憶に生々しいところです。この事件の容疑者は、ヒトラーの「優生思想」に影響を受けていたと報じられています。「障がい者なんていなくなればいい」などという主張をしていると聞きます。

この事件のあと、神奈川県警が「遺族の意向」を理由として、被害者の名前を発表しなかったことがありました。遺族がなぜそう希望したかについて書かれたレポートを読んだことがあります。

それによると、ある遺族が、「日本には、なお、優生思想的な風潮が根強くあり、すべての命は存在するだけで価値があるということが当たり前ではない世の中で、わが子の名前を公表することはできない」という意味のことを語っていました。これは、相模原事件の容疑者と同じ思想をもつ人間が、いまだに多くの者の心に潜んでいるということを懸念したものと思います。実際、今回の集団提訴の記事に対する匿名の書き込みを読むと、障がい者が子どもを産むことへの無理解に満ち溢れた内容が続々と出てきます。人権教育の必要性を思ってしまうのは悲しく思います。

TOPへ