税理士法人SKC

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人の価値

22.05.29 | 堺俊治の独り言的情報

 ウイグル民族弾圧(ジェノサイドといわれる)での虐殺、ウクライナ戦争では戦争犯罪とされる虐殺の惨状、米国での銃乱射による少年少女の殺戮など、人の命が無造作に失われ続けています。 この殺人を実行するのに、人の命よりどれほど重い価値が天秤のもう一方の皿に載っているのかを問いかけてみたい。

 米国は、原子爆弾を投下し、日本の民間人を大虐殺しました。そのため、「日本にポツダム宣言を早期に受託させるために必要なことであり、これ以上多くの米国兵を死なせないためであった。云々」と原子爆弾による50万人超の民間人の大虐殺以上に大きな価値ある行為であったことを懸命に表明しました。 敗戦に打ちひしがれていた日本人は、この言い訳の価値を受け入れ、広島の原爆死没者慰霊碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあたかも日本人が謝っているかのように石碑に刻まれています。 さらに日本人も虐殺されて仕方ないくらい、中国大陸で南京市民を30万人大虐殺したという様に多くの虐殺行為を行ったのだと、でっち上げられた情報で納得させられてしまいました。 こうして連合国最高司令官総司令部(GHQ)に、あらゆる面から日本人という価値を喪失させられてしまいました。 日本人としてのアイデンティティー失わせることがGHQの最大の目的だったのです。価値あるものは米国的価値観です。私の世代は、学校教育では左翼的教育で、米国的価値至上主義は米国製の映画やテレビドラマからでした。
 歴史的大量殺戮は、ナチスのユダヤ人大虐殺やスターリンの政治粛清による80万人の処刑や中国共産党による何千万人の処刑などが起きていますが、すべて大義名分による価値が唱えられています。 しかし、中国共産党はウイグル民族への弾圧は一切認めません。 ウクライナでの民間人虐殺についてもロシアは認めないどころか、ロシア軍は無かったことするため隠蔽工作すら行っています。 米国の銃乱射に至ってはどんな大義もなかったでしょう。
 攻撃もしてこない、危険もない民間人や捕虜を殺戮する(いや殺戮出来るというべきか)行動の契機は、価値を大切にすることの逆ではないでしょうか。価値を崩壊させること、価値を無くすこと、殺戮することで相手を無価値にし、自分の価値を上げるあるいは守るという行為ではないかと思うのです。
 西欧には18世紀頃から人種の優劣が学術的に語られてきています。 その先端的な思想がナチスのアーリア人至上主義ですが、 長い歴史の中で日本人には理解しがたい民族的優劣の争いが相互の憎悪を増幅させてきたことも、現在もウクライナにおける民間人虐殺行為の背景であろうと思います。 ウイグルでは、中国共産党は中華民族への同化政策を推進し、イスラム教文化の抹殺・民族浄化を行っています。 漢民族以外の少数民族やチベット、モンゴル、ウイグルなどの固有の文化や宗教を無価値化し全て中華民族として民族浄化しています。
 自己の民族へのプライド(価値)を持つことで、自分の価値も上がる気がすることは理解できます。 しかし周辺国をロシア民族化や中華民族化することがどうして民族の価値が上がることになるのか、私にはその辺が繋がりません。
 ウクライナをロシア化しようとする国の軍隊と、自分の生活圏を必死で守ろうとするウクライナ軍とが行っている戦いは、人やその周りを全て無価値(民族浄化)にしようとする軍隊と、これまで築いてきた価値を必死で守ろうとしている軍隊との戦いなのです。 私は、人の持つ価値を崩壊させ叩き潰そうとする勢力より、築いてきた価値を大切に守り発展させようとする側に共感はあると思うのですが・・・。

 人の価値の物差しの一つは、その人が大切にしているもの、命がけでも守ろうとするものかもしれません。

 人の価値の物差しを、次回は他の面からみてみようと思います。

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