税理士法人SKC

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安倍元総理大臣の逝去

22.07.12 | 堺俊治の独り言的情報

 有り得ないことが現実に起きてしまいました。マスメディアでは、約8年間も我が国の首相である総理大臣を務めてきた方が、我が国に何をもたらしてくれたかではなく、こぞって安倍さんをネガティブにあげつらっています。この朝日新聞を筆頭としたマスメディアの安倍ネガティブキャンペーンが狙撃に繋がっているかも知れないというのに。私は、数々の政治課題を解決してきたことや、経済政策を大きく転換させたこと、他国の首脳たちを手の内に入れてしまったことなどで、大きな評価をしていますし、何より日本人の代表としてどこに出ても誇れる方だと思って好意を抱いていました。 今回このWebマガジンを特別に皆さんに送りますのは、安倍さんが首相として、アジア諸国(中国を前にして)と、米国において行った二つの演説を多くの方々に改めて知っていただきたいからです。
 2014年のシンガポールでのアジア安全保障会議では中国共産党の海洋進出を念頭に中国共産党を前に、明確な提言を発しています。
 2015年の米国議会では安倍首相が演説を終えた時、上‣下院議員が、スタンディングオーベーションし拍手が鳴り止まなかったことで有名な演説です。
是非目を通してください。これだけで安倍首相が何を目指し、何をなしてきたかがわかります。

 安倍晋三様、衷心より哀悼の意をささげ、ご冥福をお祈りいたします。



第13回(2014)アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)における安倍内閣総理大臣の基調講演

「はじめに」
 リー・シェンロン首相、ジョン・チップマン所長,ご列席のみなさま、「アジアの平和と繁栄よ,永遠(とこしえ)なれ」。
 本日は,そのため日本として何をなすべき、どのように貢献すべきか、それを申し上げるためこの場に立っています。 ここに集うわたしたちには、共通の使命があります。 私たちの、生活の向上、経済的な繁栄を追求することです。アジア・太平洋,それからインド洋と広がるこの偉大な成長センターに、そしてそこに住まう人々に、持てる潜在力を、存分に花開かせることです。
 次の世代に、もっとはるかに豊かで、一人ひとり、成長の果実に浴すことのできる舞台を築いて、引き継ぐことでなくてはなりません。 アジアとは、成長の代名詞,達成の別名です。
 TPPは、アジア・太平洋の経済に、圧倒的なスケール・メリットをもたらすでしょう。 まるで2段目、3段目のロケットが加速度を増すように、TPPが点火する勢いは、やがて、アールセップ(RCEP)、エフタープ(FTAAP)と、自由で創造的な経済圏を拡大させながら、私たちを、一層の高みへはばたかせます。 アジア・太平洋は、世界の経済を、力強く推進し続けるでしょう。
 いま,私の経済政策は、アジア・太平洋地域との共存、win-winの関係をめざしながら、フル・スロットルで前進しています。 この広い、太平洋、インド洋のように、私たちの可能性は、どこまでも広がっています。 私たちの子、孫の世代まで,その恩恵に浴せるよう、平和を確固たるものにしなくてはなりません。 安定をもたらさなくてはならないのです。 そのために、すべての国が国際法を遵守しなければなりません。
 日本は、ASEAN各国の海や空の安全を保ち、航行の自由、飛行の自由をよく保全しようとする努力に対し、支援を惜しみません。 アジアと世界の平和を確かなものとしていくうえで、日本はこれまでにも増した積極的な役割を果たす覚悟があります。
 日本の新しい旗,「積極的平和主義」について、ASEAN加盟国すべての指導者、米国や豪州、インドや英国、フランスといった盟邦、友邦諸国指導者の皆さまから、すでに明確で熱意ある支持をいただいています。
 ――日本は、法の支配のために。 アジアは法の支配のために。 そして法の支配は、われわれすべてのために。 アジアの平和と繁栄よ、とこしえなれ。 それが、本日、私が申し上げたいことです。

「私の情勢認識」
 まず、私の情勢認識をお聞きください。 この地域は、わずか一世代のうちに目覚ましい成長を遂げました。 ただ、成長の果実のうち、割に合わないほど多くが軍備の拡張、武器の取引に充てられている。 これを私は残念に思います。 大量破壊兵器の脅威があり、力による,現状変更の試みがある。 不安定を生む要因は、確かに存在します。 しかし、悲観的になる必要などどこにもない。 それが私の考えです。
 米国のバラク・オバマ大統領と私は先頃、日米同盟が地域の平和と安全の礎であることを確かめ合いました。 大統領と私はまた、アジア・太平洋、さらには世界における平和と経済的な繁栄を推進するため、志を同じくするパートナーとの間で、3カ国間協力を強化していることを確かめ合いました。 豪州の,トニー・アボット首相が先月初め来日されたとき、まさしくこのこと、すなわち安全保障の面で、日米豪3国の協力を推し進めていくことを改めて確認しましたし、両国の戦略的パートナーシップを、新たな特別な関係に引き上げる意思を内外に向け明らかにしました。
 インドでは、このたびもまた公明な選挙によって、ナレンドラ・モディさんが首相になりました。 モディ首相を東京にお迎えするときは、日本とインドの協力、あるいはそれに第三国を加えた協力が、太平洋、インド洋という「2つの海の交わり」を、平和に、より豊かにしていくことを確認できるに違いありません。
 昨年私は,ASEANの10カ国をすべて訪問し、訪れた先々で意を強くしました。 法の支配を重んじようとする点にかけて、共通の素地がある、――航行の自由、飛行の自由を尊重する点でも、コンセンサスがあるのを教えられたからです。
 実に私たちの地域では、ほとんどの国で、経済成長は、スピードこそ各国さまざまでも、着実に思想や宗教の自由、統治体制に対するチェック・アンド・バランスをもたらしました。 法の支配という、人権の基礎をなす大前提が確実に浸透しました。 自由と民主主義、それらを支える法の支配は、アジア・太平洋の明るい長調の旋律を支える、ふくよかな通奏低音です。 日々新たに、私はその響きに耳を傾けています。

「国際法の重要さ」
 以上、私の情勢認識を皆さんと共有するためお話しました。 そのうえで、本日第1の要点、国際法を守るべきことを申します。
 海洋には、その秩序を定める国際法があります。 歴史は古く、古代ギリシャの昔にさかのぼるといわれています。 早くもローマ時代、海はすべての人々に開放され、私的な所有や分割が禁止されました。 いわゆる大航海時代以降、多くの人々が海を通じて出会い、海洋貿易が世界を結びます。 公海自由の原則が確立するに至り、海は人類の繁栄の礎となりました。 歴史を重ね、時として文字通り荒波に揉まれながら、海にかかわる多くの人々の知恵と、実践の積み重ねがあって、共通のルールとして生み出されたものが、海に関する国際法です。 誰か特定の国や、集団がつくったものではありません。 長い年月をかけ、人類の幸福と繁栄のためはぐくまれた、われわれ自身の叡智の産物なのです。
 今日、私たちおのおのにとっての利益は、太平洋からインド洋にかけての海を徹底してオープンなものとし、自由で平和な場とするところにあります。 法の支配が貫徹する世界・人類の公共財として、われわれの海や空を保ち続けるところ、そこにこそ、すべての者に共通する利益があります。

「海における法の支配・3つの原則」
 海における法の支配とは、具体的には何を意味するのか。 長い歳月をかけ、われわれが国際法に宿した基本精神を3つの原則に置き直すと、実に常識的な話になります。
 原則その1は、国家はなにごとか主張をなすとき、法にもとづいてなすべし、です。
 原則その2は、主張を通したいからといって、力や威圧を用いないこと。
 そして原則その3が、紛争解決には、平和的収拾を徹底すべしということです。
 繰り返しますと、国際法に照らして正しい主張をし、力や威圧に頼らず、紛争は、すべからく平和的解決を図れ、ということです。 当たり前のこと、人間社会の基本です。 しかしその当たり前のことを、あえて強調しなくてはなりません。 アジア・太平洋に生きるわれわれ一人ひとり、この3原則を徹底遵守すべきだと、私は訴えます。
 先日、インドネシアとフィリピンが平和裏に、両国間の排他的経済水域の境界画定に合意しました。 法の支配が、まさに具現化した好例として、私は歓迎したいと思います。 また、南シナ海における紛争の解決を、まさに3原則にのっとり求めようとしているフィリピンの努力を、私の政府は強く支持します。 ベトナムが、対話を通じて問題を解決しようとしていることを、同様に支持します。 既成事実を積み重ね、現状の変化を固定しようとする動きは、3原則の精神に反するものとして、強い非難の対象とならざるを得ません。 いまこそ、南シナ海の、すべての当事国が約束した2002年行動宣言、あのDOCの精神と規定に立ち返り、後戻りができなくなる変化や、物理的な変更を伴う一方的行動をとらないという、固い約束を交わすべき時ではないでしょうか。 平穏な海を取り戻すため、叡智を傾けるべきときはいま、です。

「不測の事態を防ぐため」
 世界が待ち望んでいるのは、わたしたちの海とその空が、ルールと法と、確立した紛争手続きの支配する場となることです。 最も望まないものは、威圧と威嚇が、ルールと法にとってかわり、任意のとき、ところで、不測の事態が起きないかと、恐れなければならないことです。
 南シナ海においては、ASEANと中国の間で、真に実効ある行動規範ができるよう、それも、速やかにできるよう、期待してやみません。
 日本と中国の間には、2007年、私が総理を務めていたとき、当時の温家宝・中国首相との間で成立した合意があります。 日中両国で不測の事態を防ぐため、海、空に、連絡メカニズムをつくるという約束でした。 残念ながら、これが、実地の運用に結びついていません。 私たちは、海上での、戦闘機や艦船による危険な遭遇を歓迎しません。 交わすべきは言葉です。 テーブルについて、まずは微笑みのひとつなり交わし、話し合おうではありませんか。 両国間の合意を,実施に移すことが、地域全体の平和と安定につながる。 私はそう確信しています。

「EAS強化と,軍事予算透明化」
 それにつけても、EASに重きをもたせるときが来た。 私はそう思います。 「ARF」は外相レベル、「ADMM+」は、国防大臣レベルの会議です。 首脳たちが集まり、あるべき秩序を話し合う場として、EASに勝る舞台はありません。 軍備拡張の抑制、軍事予算の透明化、あるいは武器貿易条約の締結拡大や、国防当局間の意思疎通の向上――。 首脳同士が互いにピア・プレッシャーを掛け合い、取り組んでいかねばならない課題には事欠きません。 地域の政治・安全保障を扱うプレミア・フォーラムとして、EASを一層充実させるべきである。 そう、訴えます。
 来年が、ちょうどEAS発足10周年です。 まずは参加国代表からなるパーマネントな委員会をつくり、EASの活性化、さらには、EASとARF、ADMM+を重層的に機能させるため、ロードマップをこしらえてはどうでしょう。 まず話し合うべきは、ディスクロージャーの原則です。 陽の光にまさる、殺菌薬はなし、と、そう言うではありませんか。
 アジアは今後とも、世界の繁栄をひっぱっていく主役です。 そんな場所での軍拡は、元来不似合です。 繁栄の果実は、更なる繁栄、人々の生活の向上にこそ再投資されるべきです。 軍事予算を一歩、一歩公開し、クロスチェックしあえるような枠組こそ、EASの延長上に、私たちが目指すべき体制だと、そう信じます。

「ASEANへの支援」
 ASEAN各国の、海や空の安全を保ち、航行の自由、飛行の自由をよく保全しようとする努力に対し、日本は支援を惜しみません。 では日本は何を、どう支援するのか。それが、次にお話すべきことです。
 フィリピン沿岸警備隊に、新しい巡視艇を10隻提供することに致しました。 インドネシアには、既に3隻、真新しい巡視艇を無償供与しました。 ベトナムにも供与できるよう、必要な調査を進めています。 日本が実施する援助全般について言えることですが、ハード・アセットが日本から出て行くと、技能の伝授に、専門家がついていきます。 そこで必ず、人と人のつながりが強くなります。 職務を遂行すること、それ自体への誇りの意識が伝わります。 高い士気と、練度が育ち、厳しい訓練をともにすることで、永続的な友情が芽吹きます。 フィリピ、インドネシア、マレーシア3国だけで、沿岸警備のあり方について日本から学んだ経験のある人は、250人をゆうに上回っています。 2012年、ASEAN主要5カ国から海上法執行機関の幹部を日本へ招いたときは、1カ月の研修期間中、1人につき日本の海上保安官が3人つき、寝食をすべて共にしました。 「日本の場合,技術はもちろん、1人1人、士気の高さがすばらしい。 持って帰りたいのは、この気風だ」と、マレーシアからの参加者は言ったそうです。 私たちが本当に伝えたいことを、よくわかってくれたと思います。
 ここシンガポールでも、8年前にできた地域協力協定(ReCAAP)に基づいて、各国のスタッフが、海賊許すまじと、日夜目を光らせています。 事務局長はいま、日本人が務めています。 日本はこのほど、防衛装備について、どういう場合に他国へ移転できるか、新たな原則をつくりました。 厳格な審査のもと、適正な管理が確保される場合、救難、輸送、警戒、監視、掃海など目的に応じ、日本の優れた防衛装備を、出していけることになりました。
 国同士で、まずは約束を結んでからになります。 ひとつひとつ厳格に審査し、管理に適正を図ることを心がけつつ進めていきます。 ODA、自衛隊による能力構築、防衛装備協力など、日本がもついろいろな支援メニューを組み合わせ、ASEAN諸国が海を守る能力を、シームレスに支援してまいります。
 以上,お約束として,申し上げました。

「積極的平和主義」と「安保法制の再構築」
 最後の話題に移りましょう。 日本が掲げる、新しい旗についてのお話です。
 もはや、どの国も、一国だけで平和を守れる時代ではありません。 これは、世界の共通認識でしょう。 さればこそ、集団的自衛権や、国連PKOを含む国際協力にかかわる法的基盤の、再構築を図る必要があるのではないか。 そう思い私はいま、国内で検討を進めています。 いま、日本の自衛隊は、国連ミッションの旗の下、独立間もない南スーダンにいて、平和づくりに汗を流しています。 そこには、カンボジア、モンゴル、バングラデシュ、インド、ネパール、韓国、中国といった国々の部隊が参加しています。 国連の文民スタッフや、各国NGOの方々も、大勢います。 南スーダンの国造りを助けるという点で、彼らは皆、仲間です。
 ここでもし、自らを守るすべのない文民や、NGOの方々に、武装勢力が突然襲い掛かったとしましょう。 いままでの、日本政府の考え方では、襲撃を受けているこれら文民の方々を、我が国自衛隊は、助けに行くことはできません。 今後とも、それでいいのか。 われわれは現在、日本政府としての検討を進めるとともに、連立与党同士の協議を続けています。 国際社会の平和、安定に、多くを負う国ならばこそ、日本は、もっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい、「積極的平和主義」のバナーを掲げたいと、そう思うからです。

「新しい日本人」とは
 自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。 これからの、幾世代、変わらず歩んでいきます。  この点、本日はお集まりのすべての皆さまに、一点、曇りもなくご理解をいただきたい。 そう思います。
 私はこの1年と半年ちかく、日本経済を、いまいちど、イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと、粉骨砕身、努めてまいりました。 アベノミクスと、ひとはこれを呼び、経済政策として分類します。 私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。 未来を担う、新しい日本人を育てる事業にほかなりません。
 新しい日本人は、どんな日本人か。
 昔ながらの良さを、ひとつとして失わない、日本人です。
 貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことが、アジアの、ほかの国々で、同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に、孜々として協力を続けました。
 新しい日本人は、こうした、無私・無欲の貢献を、おのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちと、なんら変わるところはないでしょう。 変わるとすれば、日本が実施する支援や協力は、その対象、担い手とも、ますます女性になることでしょうか。 カンボジアで、民法をつくり、民事訴訟法をつくるお手伝いをした日本人が、3人の、いずれも若い女性裁判官、女性検事だったことをご記憶ください。
 2011年8月のことでした。 フィリピンの、ベニグノ・アキノ3世大統領と、ムラド・エブラヒムMILF議長とのトップ会談が、日本の成田で実現し、本年3月には、とうとう、両者間に、包括和平の合意がなりました。 2年後には、いよいよ、バンサモロ自治政府が産声をあげます。 そのため私たち日本の援助チームは、何に、いちばん力を入れているでしょうか。 女性たちに、生活の糧を稼ぐ実力をつけてもらうことが、そのひとつです。 ミンダナオに、我が国は女性職業訓練所を建てました。 銃声と怒号が消えたミンダナオに響くのは、彼女たちが動かすミシンの、軽快な機械音です。 新しい日本人とは、いままでと同じように、成長のエンジンが、結局のところ人間であり、ともすると不当に不利な立場に置かれてきた女性たちであることを踏まえ、その、実力向上に、力を惜しまない人間です。 新しい日本人は、アジア・太平洋の繁栄を、自分のこととして喜び、日本を、地域の意欲ある若者にとって、希望の場所とすることに、価値と、生き甲斐を見出す日本人です。 日本という国境にとらわれない、包容力ある自我をもつ日本人です。
 中国からは,毎年、何十人かの高校生がやってきて、北から南まで、日本列島に散らばって、まる1年、日本人の高校生と、生活や学習を共にします。 彼等、彼女らは、例外なく、日本人の友達と結んだ友情に感動し、ホストファミリーが注ぐ愛情に涙して、母国に帰ります。 日本を,第二の故郷だと言って帰ります。 新しい日本人には、そんな、外国の人たちを慈愛深く迎える心を、いっそう大切にしてほしい。 そう思います。
 新しい日本人とは,最後に、この地域の平和と、秩序の安定を、自らの責任として、担う気構えがある日本人です。
 人権や、自由の価値を共有する地域のパートナーたちと、一緒になって、アジア・太平洋の平和、秩序を担おうとする意欲の持ち主です。 そんな新しい日本人のための、新しいバナー、「積極的平和主義」とは、日本が、いままでより以上に、地域の同輩たち、志と、価値を共にするパートナーたちと、アジア・太平洋の平和と、安全、繁栄のため、努力と、労を惜しまないという、心意気の表現にほかなりません。
 米国との同盟を基盤とし、ASEANとの連携を重んじながら、地域の安定、平和、繁栄を確固たるものとしていくため、日本は、骨身を惜しみません。
 私たちの行く手には、平和と、繁栄の大道が、ひろびろと、広がっています。 次の世代に対するわれわれの責任とは、この地域がもつ成長のポテンシャルを、存分に、花開かせることです。
 日本は、法の支配のために。 アジアは、法の支配のために。 そして法の支配は、われわれすべてのために。 アジアの平和と繁栄よ、とこしえなれ。
――有難うございました。


米国連邦議会上下両院合同会議における安倍総理大臣演説 
「希望の同盟へ」 (2015年4月29日)

はじめに
 議長、副大統領、上院議員、下院議員の皆様、ゲストと、すべての皆様、1957年6月、日本の総理大臣としてこの演台に立った私の祖父、岸信介は、次のように述べて演説を始めました。 「日本が、世界の自由主義国と提携しているのも、民主主義の原則と理想を確信しているからであります」。 以来58年、このたびは上下両院合同会議に日本国総理として初めてお話する機会を与えられましたことを、光栄に存じます。お招きに、感謝申し上げます。 申し上げたいことはたくさんあります。でも、「フィリバスター」をする意図、能力ともに、ありません。 皆様を前にして胸中を去来しますのは、日本が大使としてお迎えした偉大な議会人のお名前です。 マイク・マンスフィールド、ウォルター・モンデール、トム・フォーリー、そしてハワード・ベイカー。 民主主義の輝くチャンピオンを大使として送って下さいましたことを、日本国民を代表して、感謝申し上げます。 キャロライン・ケネディ大使も、米国民主主義の伝統を体現する方です。大使の活躍に、感謝申し上げます。 私ども、残念に思いますのは、ダニエル・イノウエ上院議員がこの場においでにならないことです。日系アメリカ人の栄誉とその達成を、一身に象徴された方でした。

アメリカと私
 私個人とアメリカとの出会いは、カリフォルニアで過ごした学生時代にさかのぼります。 家に住まわせてくれたのは、キャサリン・デル-フランシア夫人。 寡婦でした。 亡くした夫のことを、いつもこう言いました、「ゲイリー・クーパーより男前だったのよ」と。 心から信じていたようです。 ギャラリーに、私の妻、昭恵がいます。 彼女が日頃、私のことをどう言っているのかはあえて聞かないことにします。 デル-フランシア夫人のイタリア料理は、世界一。 彼女の明るさと親切は、たくさんの人をひきつけました。 その人たちがなんと多様なこと。「アメリカは、すごい国だ」。驚いたものです。 のち、鉄鋼メーカーに就職した私は、ニューヨーク勤務の機会を与えられました。 上下関係にとらわれない実力主義。 地位や長幼の差に関わりなく意見を戦わせ、正しい見方なら躊躇なく採用する。 ――この文化に毒されたのか、やがて政治家になったら、先輩大物議員たちに、アベは生意気だと随分言われました。

アメリカ民主主義と日本
 私の苗字ですが、「エイブ」(エイブラハム・リンカーンの愛称)ではありません。 アメリカの方に時たまそう呼ばれると、悪い気はしません。 民主政治の基礎を、日本人は、近代化を始めてこのかた、ゲティスバーグ演説の有名な一節に求めてきたからです。 農民大工の息子が大統領になれる――、そういう国があることは、19世紀後半の日本を、民主主義に開眼させました。 日本にとって、アメリカとの出会いとは、すなわち民主主義との遭遇でした。出会いは150年以上前にさかのぼり、年季を経ています。

第二次大戦メモリアル
 先刻私は、第二次大戦メモリアルを訪れました。神殿を思わせる、静謐な場所でした。耳朶を打つのは、噴水の、水の砕ける音ばかり。 一角にフリーダム・ウォールというものがあって、壁面には金色の、4000個を超す星が埋め込まれている。 その星一つ、ひとつが、斃れた兵士100人分の命を表すと聞いたとき、私を戦慄が襲いました。 金色(こんじき)の星は、自由を守った代償として、誇りのシンボルに違いありません。 しかしそこには、さもなければ幸福な人生を送っただろうアメリカの若者の、痛み、悲しみが宿っている。 家族への愛も。 真珠湾、バターン・コレヒドール、珊瑚海…、メモリアルに刻まれた戦場の名が心をよぎり、私はアメリカの若者の、失われた夢、未来を思いました。 歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。私は深い悔悟を胸に、しばしその場に立って、黙祷を捧げました。 親愛なる、友人の皆さん、日本国と、日本国民を代表し、先の戦争に斃れた米国の人々の魂に、深い一礼を捧げます。とこしえの、哀悼を捧げます。

かつての敵、今日の友
 みなさま、いまギャラリーに、ローレンス・スノーデン海兵隊中将がお座りです。 70年前の2月、23歳の海兵隊大尉として中隊を率い、硫黄島に上陸した方です。 近年、中将は、硫黄島で開く日米合同の慰霊祭にしばしば参加してこられました。こう、仰っています。 「硫黄島には、勝利を祝うため行ったのではない、行っているのでもない。その厳かなる目的は、双方の戦死者を追悼し、栄誉を称えることだ」。 もうおひとかた、中将の隣にいるのは、新藤義孝国会議員。 かつて私の内閣で閣僚を務めた方ですが、この方のお祖父さんこそ、勇猛がいまに伝わる栗林忠道大将・硫黄島守備隊司令官でした。 これを歴史の奇跡と呼ばずして、何をそう呼ぶべきでしょう。 熾烈に戦い合った敵は、心の紐帯が結ぶ友になりました。スノーデン中将、和解の努力を尊く思います。ほんとうに、ありがとうございました。

アメリカと戦後日本
 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。 自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。 これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わるものではありません。 アジアの発展にどこまでも寄与し、地域の平和と、繁栄のため、力を惜しんではならない。 自らに言い聞かせ、歩んできました。 この歩みを、私は、誇りに思います。 焦土と化した日本に、子ども達の飲むミルク、身につけるセーターが、毎月毎月、米国の市民から届きました。 山羊も、2,036頭、やってきました。 米国が自らの市場を開け放ち、世界経済に自由を求めて育てた戦後経済システムによって、最も早くから、最大の便益を得たのは、日本です。 下って1980年代以降、韓国が、台湾が、ASEAN諸国が、やがて中国が勃興します。 今度は日本も、資本と、技術を献身的に注ぎ、彼らの成長を支えました。 一方米国で、日本は外国勢として2位、英国に次ぐ数の雇用を作り出しました。

TPP
 こうして米国が、次いで日本が育てたものは、繁栄です。 そして繁栄こそは、平和の苗床です。 日本と米国がリードし、生い立ちの異なるアジア太平洋諸国に、いかなる国の恣意的な思惑にも左右されない、フェアで、ダイナミックで、持続可能な市場をつくりあげなければなりません。 太平洋の市場では、知的財産がフリーライドされてはなりません。過酷な労働や、環境への負荷も見逃すわけにはいかない。 許さずしてこそ、自由、民主主義、法の支配、私たちが奉じる共通の価値を、世界に広め、根づかせていくことができます。 その営為こそが、TPPにほかなりません。 しかもTPPには、単なる経済的利益を超えた、長期的な、安全保障上の大きな意義があることを、忘れてはなりません。 経済規模で、世界の4割、貿易量で、世界の3分の1を占める一円に、私達の子や、孫のために、永続的な「平和と繁栄の地域」をつくりあげていかなければなりません。 日米間の交渉は、出口がすぐそこに見えています。 米国と、日本のリーダーシップで、TPPを一緒に成し遂げましょう。

強い日本へ、改革あるのみ
 実は…、いまだから言えることがあります。 20年以上前、GATT農業分野交渉の頃です。 血気盛んな若手議員だった私は、農業の開放に反対の立場をとり、農家の代表と一緒に、国会前で抗議活動をしました。 ところがこの20年、日本の農業は衰えました。農民の平均年齢は10歳上がり、いまや66歳を超えました。 日本の農業は、岐路にある。 生き残るには、いま、変わらなければなりません。 私たちは、長年続いた農業政策の大改革に立ち向かっています。60年も変わらずにきた農業協同組合の仕組みを、抜本的に改めます。 世界標準に則って、コーポレート・ガバナンスを強めました。 医療・エネルギーなどの分野で、岩盤のように固い規制を、私自身が槍の穂先となりこじあけてきました。 人口減少を反転させるには、何でもやるつもりです。 女性に力をつけ、もっと活躍してもらうため、古くからの慣習を改めようとしています。 日本はいま、「クォンタム・リープ(量子的飛躍)」のさなかにあります。 親愛なる、上院、下院議員の皆様、どうぞ、日本へ来て、改革の精神と速度を取り戻した新しい日本を見てください。 日本は、どんな改革からも逃げません。 ただ前だけを見て構造改革を進める。この道のほか、道なし。 確信しています。

戦後世界の平和と、日本の選択
 親愛なる、同僚の皆様、戦後世界の平和と安全は、アメリカのリーダーシップなくして、ありえませんでした。 省みて私が心から良かったと思うのは、かつての日本が、明確な道を選んだことです。その道こそは、冒頭、祖父の言葉にあったとおり、米国と組み、西側世界の一員となる選択にほかなりませんでした。 日本は、米国、そして志を共にする民主主義諸国とともに、最後には冷戦に勝利しました。 この道が、日本を成長させ、繁栄させました。そして今も、この道しかありません。

地域における同盟のミッション
 私たちは、アジア太平洋地域の平和と安全のため、米国の「リバランス」を支持します。徹頭徹尾支持するということを、ここに明言します。 日本は豪州、インドと、戦略的な関係を深めました。 ASEANの国々や韓国と、多面にわたる協力を深めていきます。 日米同盟を基軸とし、これらの仲間が加わると、私たちの地域は格段に安定します。 日本は、将来における戦略的拠点の一つとして期待されるグアム基地整備事業に、28億ドルまで資金協力を実施します。 アジアの海について、私がいう3つの原則をここで強調させてください。 第一に、国家が何か主張をするときは、国際法にもとづいてなすこと。 第二に、武力や威嚇は、自己の主張のため用いないこと。 そして第三に、紛争の解決は、あくまで平和的手段によること。 太平洋から、インド洋にかけての広い海を、自由で、法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。 そのためにこそ、日米同盟を強くしなくてはなりません。私達には、その責任があります。 日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。 実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。  この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。 戦後、初めての大改革です。 この夏までに、成就させます。 ここで皆様にご報告したいことがあります。 一昨日、ケリー国務長官、カーター国防長官は、私たちの岸田外相、中谷防衛相と会って、協議をしました。 いま申し上げた法整備を前提として、日米がそのもてる力をよく合わせられるようにする仕組みができました。 一層確実な平和を築くのに必要な枠組みです。 それこそが、日米防衛協力の新しいガイドラインにほかなりません。 昨日、オバマ大統領と私は、その意義について、互いに認め合いました。 皆様、私たちは、真に歴史的な文書に、合意をしたのです。

日本が掲げる新しい旗
 1990年代初め、日本の自衛隊は、ペルシャ湾で機雷の掃海に当たりました。 後、インド洋では、テロリストや武器の流れを断つ洋上作戦を、10年にわたって支援しました。 その間、5万人にのぼる自衛隊員が、人道支援や平和維持活動に従事しました。 カンボジア、ゴラン高原、イラク、ハイチや南スーダンといった国や、地域においてです。 これら実績をもとに、日本は、世界の平和と安定のため、これまで以上に責任を果たしていく。 そう決意しています。そのために必要な法案の成立を、この夏までに、必ず実現します。 国家安全保障に加え、人間の安全保障を確かにしなくてはならないというのが、日本の不動の信念です。 人間一人ひとりに、教育の機会を保障し、医療を提供し、自立する機会を与えなければなりません。 紛争下、常に傷ついたのは、女性でした。 わたしたちの時代にこそ、女性の人権が侵されない世の中を実現しなくてはいけません。 自衛隊員が積み重ねてきた実績と、援助関係者たちがたゆまず続けた努力と、その両方の蓄積は、いまやわたしたちに、新しい自己像を与えてくれました。 いまや私たちが掲げるバナーは、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」という旗です。 繰り返しましょう、「国際協調主義にもとづく、積極的平和主義」こそは、日本の将来を導く旗印となります。 テロリズム、感染症、自然災害や、気候変動――。日米同盟は、これら新たな問題に対し、ともに立ち向かう時代を迎えました。 日米同盟は、米国史全体の、4分の1以上に及ぶ期間続いた堅牢さを備え、深い信頼と、友情に結ばれた同盟です。 自由世界第一、第二の民主主義大国を結ぶ同盟に、この先とも、新たな理由付けは全く無用です。それは常に、法の支配、人権、そして自由を尊ぶ、価値観を共にする結びつきです。

未来への希望
 まだ高校生だったとき、ラジオから流れてきたキャロル・キングの曲に、私は心を揺さぶられました。 「落ち込んだ時、困った時、...目を閉じて、私を思って。 私は行く。 あなたのもとに。 たとえそれが、あなたにとっていちばん暗い、そんな夜でも、明るくするために」。 2011年3月11日、日本に、いちばん暗い夜がきました。日本の東北地方を、地震と津波、原発の事故が襲ったのです。 そして、そのときでした。米軍は、未曾有の規模で救難作戦を展開してくれました。 本当にたくさんの米国人の皆さんが、東北の子供たちに、支援の手を差し伸べてくれました。 私たちには、トモダチがいました。 被災した人々と、一緒に涙を流してくれた。そしてなにものにもかえられない、大切なものを与えてくれた。 ――希望、です。 米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。 米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を、「希望の同盟」と呼びましょう。 アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。 希望の同盟――。 一緒でなら、きっとできます。 ありがとうございました。 

出典 : 外務省ホームページ

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