大阪プライム法律事務所

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尖閣諸島問題とチャイナリスク

10.10.11 | ニュース六法

尖閣諸島沖の漁船衝突事件は、対中国問題での多くの課題を浮き彫りにしました。

尖閣諸島は、私が知る限りでは明らかに日本固有の領土ですが、中国の人々は、政府の情報操作で、完全に自国の領土だと信じているので厄介です。また、中国がみせた強硬姿勢は、中国ビジネスにおけるリスクの大きさを改めて内外に示しました。いわゆるチャイナリスクです。・・・・(写真もしくは「続きを読む」をクリックして本文をお読みください)
[写真:尖閣諸島・魚釣島=海上保安庁HPより]
 

尖閣諸島沖の漁船衝突事件は、対中国問題での多くの課題を浮き彫りにしました。尖閣諸島は、私が知る限りでは明らかに日本固有の領土ですが、中国の人々は、政府の情報操作で、完全に自国の領土だと信じているので厄介です。また、中国がみせた強硬姿勢は、中国ビジネスにおけるリスクの大きさを改めて内外に示しました。いわゆるチャイナリスクです。[写真:尖閣諸島・魚釣島=海上保安庁HPより]

 

チャイナリスクとは、法律があっても、共産党一党独裁ゆえに、法律を超えた力が働くことから生じるリスクです。ルールが突然変更となったり、まったくの理不尽な要求が突き付けられたりする例に枚挙がありません。貿易取引で、我が国が不利益を被らないよう、アジア諸国はもちろん、欧米諸国とも強固に連携して、積極的なリスク対抗措置を講じるべき時代がきたと思います。特に、南シナ海の南沙諸島や西沙諸島をめぐって中国と領有権を争っている東南アジア各国は、尖閣問題での日中対立を見て、中国への警戒感を一層強めています。周囲から嫌われることの不利益の大きさを、理解させていくことが有効だと考えられます。国際的なスクラムで、中国を「常識の通じる国」に変えていかなければなりません。台頭する隣国と付き合っていく覚悟が必要です。

尖閣列島とは

八重山・宮古両列島の北で、台湾の北東の東シナ海に散在する小島と岩礁の総称で、現在は無人島になっています。(詳しい位置などは、第11管区海上保安本部のホームページを参照)
ここは、かつては日本人が居住していました。日本の明治政府が現地調査を行ない、日本人の居住と清国の支配が及んでいる痕跡がないことを確認した上で、1895年(明治28年)1月14日に、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって、正式に日本国の領土に編入しました。その後、日本人の手でかつお節工場がつくられ、日本が実質的に支配してきたのです。この編入過程を見る限りでは、侵略戦争などによる不当な領土拡張では無かったといえます。
その後の日清戦争の講和条約(下関条約)(1895年4月17日)で、日本は中国から台湾・澎湖(ほうこ)諸島などの地域を得ました。ちなみに、ここで割譲された地域は、第二次世界大戦後、中国に返還されました。中国側は、この講和条約の第2条を口実に、尖閣はこのときに中国から切り離されたが、第二次世界大戦後の中国返還で中国の領土に戻ったと主張しているようです。しかし、同条約第2条1項では、「遼東半島」、第2項では「台湾」、第3項には「澎湖列島」の各領域が日本に割譲される旨が書かれていますが、尖閣諸島については一切言及されていません。したがって、それには尖閣諸島は含まれていません。また、中国や台湾の地図でも、尖閣諸島は自国の領域外におかれていたようです。

第二次世界大戦後は、沖縄領域としてアメリカ合衆国の施政に置かれましたが、1971年(昭和46年)6月17日署名の沖縄返還協定で、翌年に返還され、現在は沖縄県に属しています。
この間、中国は、この諸島に関心を示さず、日本の領有に異議を述べることがありませんでした。しかし、沖縄返還直前の1969年(昭和44年)に、国連アジア極東経済委員会において、尖閣列島付近海域で天然資源が明らかとなって以来、中国及び台湾から領有権が主張され始めたのです。

 

外務省の「尖閣諸島の領有権についての基本見解」

尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単にこれが無人島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認の上、1895年1月14日に現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行なって正式にわが国の領土に編入することとしたものです。
同諸島は爾来歴史的に一貫してわが国の領土たる南西諸島の一部を構成しており、1895年5月発効の下関条約第2条に基づきわが国が清国より割譲を受けた台湾及び澎湖諸島には含まれていません。
従って、サン・フランシスコ平和条約においても、尖閣諸島は、同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず、第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1971年6月17日署名の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。以上の事実は、わが国の領土としての尖閣諸島の地位を何よりも明瞭に示すものです。
なお、中国が尖閣諸島を台湾の一部と考えていなかったことは、サン・フランシスコ平和条約第3条に基づき米国の施政下に置かれた地域に同諸島が含まれている事実に対し従来何等異議を唱えなかったことからも明らかであり、中華人民共和国政府の場合も台湾当局の場合も1970年後半東シナ海大陸棚の石油開発の動きが表面化するに及びはじめて尖閣諸島の領有権を問題とするに至ったものです。
また、従来中華人民共和国政府及び台湾当局がいわゆる歴史的、地理的ないし地質的根拠等として挙げている諸点はいずれも尖閣諸島に対する中国の領有権の主張を裏付けるに足る国際法上有効な論拠とはいえません。

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