大阪プライム法律事務所

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草なぎ剛は、なぜ「トラ箱」でなかったのでしょうか?

09.05.06 | ニュース六法

SMAPのメンバー草なぎ(なぎは弓へんに剪)剛さんが、4月23日未明、公園内で裸になったとして、公然わいせつ容疑で警視庁に現行犯逮捕され、当時、大騒ぎになりました。泥酔状態だったといいます。警視庁はその日の夕方には自宅マンションを同容疑で家宅捜索までしました。その後、釈放され、不起訴になりました。しかし、逮捕や家宅捜索までする必要があったのでしょうか。トラ箱では、だめだったのでしょうか。     トラ箱とは・・・? (トラ Photo by (c)Tomo.Yu )

SMAPのメンバー草なぎ(なぎは弓へんに剪)剛さんが、4月23日未明、公園内で裸になったとして、公然わいせつ容疑で警視庁に現行犯逮捕され、当時、大騒ぎになりました。泥酔状態だったといいます。警視庁はその日の夕方には自宅マンションを同容疑で家宅捜索までしました。その後、釈放され、不起訴になりました。しかし、逮捕や家宅捜索までする必要があったのでしょうか。トラ箱では、だめだったのでしょうか。

(トラ Photo by (c)Tomo.Yu )

 

総務大臣が「人格否定発言」までしたり(後に撤回)、テレビ番組やCM放送などの自粛が相次いだりしたことに対しては、当然だとか過剰反応だとか、議論が百出でした。釈放後の記者会見での謝罪が効いたのか、これ以上の批判的な見解は少なく、むしろ、「かわいそう」というような声も多く出ていました。復帰は、そんなに遠くはないような感じがしていましたが、5月28日には復帰することになったようです。迷惑を被った関係者も多々いると思いますので、本人の自省は、なお継続していくことが必要でしょう。


ただ、そもそも、現行犯で逮捕というが、完全な酔っぱらいへの対応として、そこまでする必要があったのでしょうか。いわゆる「泥酔者保護」、つまりは「トラ箱」や「泥酔者保護所」での保護もあったのではないかという点です。

 

「トラ箱」

トラ箱とは、警察の保護室のことで、「酒に酔って公衆に迷惑をかける行為の防止等に関する法律」に基づき泥酔者を保護収容するために、警察署に置かれた「保護室」のことです。保護室は、花見や忘年会シーズンでは満員となることもあったといいますが、最近は「利用者」が減少しているとは聞きます。大暴れしても、夜明けて酔いがさめ、頭を下げて帰っていくのが日常光景であったとのことでした。ちなみに、警視庁では警察署以外に「泥酔者保護所」を設置し、かつては都内4箇所に設置され、最盛期には年間一万人以上の泥酔者を保護したといいますが、利用数の減少で2007年末に全部廃止されたとのことです。


今回の事件では、「トラ箱」での泥酔者保護ではなく、逮捕となったのは、公然わいせつが絡んでいたからでしょう。ただ、家宅捜索までする必要性もあったのでしょうか。いくらなんでも、今回のような現行犯事件で行うのは、不思議すぎる感がします。自宅に公然わいせつと関係のある証拠があるとも思えません。家宅捜索には、当然に裁判所の令状が必要ですが、何を根拠にしたのか、あまりに安易に認めすぎじゃなかろうかとも思います。警察の狙いは、薬物を疑ったのではないかとの情報がありましたが、そうすると明らかに別件捜査ではないのでしょうか。何らかの勇み足があったのではないかと勘繰りたくはなります。

 

公然わいせつ罪の「公然」とは
今回の件は、深夜午前3時の公園でした。この場合も「公然性」があると言えるのだろうかと、思われた方があるかもしれません。判例では、公然とは、「不特定又は多数の人が認識することのできる状態」をいうとされ、現実に不特定又は多数の人が認識する必要はなく、その認識の可能性があれば足りるとされ、現実には通行人が全くいなかったとしても、公然性に欠けるところはないとされています。これからして、たとえ深夜午前3時の公園であっても、誰が通りかかるかもしれないことからすると、公然性の要件には、何ら問題なく該当すると言える。深夜カップルも、やり過ぎると同じ罪に問われかねないのです。


パンツを脱がなかったらOK、脱いだらNO?!
「わいせつ」とは、「性欲を刺激、興奮又は満足させる行為であり、普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する行為をいうもの」と解されています。「わいせつ」の概念は、時代に応じて変化するものですが、下半身丸出しで暴れることについては、たとえ草なぎ君であろうと、公然わいせつと言われても仕方がないでしょう。ちなみに、接吻や乳房を露出する行為自体は、それのみでは「わいせつ」といえないとされていて、このことから一般的に「パンツを脱がなかったらOK、脱いだらNO」とも言われてはいます。

芸術性?

日経新聞で連載中の磯崎新氏(建築家)「私の履歴書」(5月13日付)中で、若いころ、自宅で、岡本太郎氏などが参加していたパーティーで、芸術家たちが、家の屋根の上でハダカで踊っていたところ、近所の通報でパトカーがきた話が出ていました。このとき、磯崎氏は、公然わいせつ罪にあたると諭す警察官に対して、チャタレー裁判の報道などを持ち出して、「これはワイセツではなくて、芸術だ」と繰り返して訴えたという話が出ていて、びっくりしました。なるほどなあ、と。これは、当時、イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、出版社社長に対して刑法第175条の猥褻物頒布罪が問われた事件で、弁護人らが、これは芸術であって、わいせつではないとして無罪を主張した刑事裁判があったのでした。この事件は、結局、最高裁で有罪が確定しました。この弁護人の論法でいくとして、もし、草なぎ君が、「自分のやったことは、芸術だ!」とでも言えば、もしかしたら、おもしろい展開があったかもしれません。(これでは無罪にはならないと思いますが。)

 

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