大阪プライム法律事務所

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八百長相撲

11.02.13 | ニュース六法

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八百長問題で、大相撲春場所の中止が決定しました。「浪速の春」が消えた大阪は、多くの余波が続いています。

共同通信社が大相撲の八百長問題に関し実施した全国電話世論調査が公表されています。力士らのメールのやりとりが発覚する以前から「八百長はあると思っていた」が76.1%にで、「ないと思っていた」の18.6%を大幅に上回っています。日本相撲協会の放駒理事長は、八百長は「過去にはなかったと判断している」と記者会見で話していますが、世論の見方は厳しいようです。

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八百長問題で、大相撲春場所の中止が決定しました。「浪速の春」が消えた大阪は、多くの余波が続いています。 
共同通信社が大相撲の八百長問題に関し実施した全国電話世論調査が公表されています。力士らのメールのやりとりが発覚する以前から「八百長はあると思っていた」が76.1%にで、「ないと思っていた」の18.6%を大幅に上回っています。日本相撲協会の放駒理事長は、八百長は「過去にはなかったと判断している」と記者会見で話していますが、世論の見方は厳しいようです。

また、日本相撲協会が今後も公益法人として存続した方がよいかどうかについて、「公益法人として存続しなくてもよい」が62・3%とあり、公益財団法人への移行を目指している協会にとっては深刻な数字が出ています。

八百長とは

聞くところでは、明治時代の八百屋の店主「長兵衛」に由来するといわれています。八百屋の長兵衛は、「八百長」と呼ばれていたようですが、大相撲の年寄と囲碁仲間で、その実力は長兵衛が優れていたのに、八百屋としての商売上の打算から、わざと負けて機嫌をとっていたようです。ところが、あるとき囲碁の名人と互角の勝負をしたために真の実力が知れてしまい、わざと負ける勝負を八百長と呼ぶようになったようです。

八百長相撲

この言葉が話題になったことは、かなり以前からあります。今回のニュースで知ったところでは、古くは1963年9月場所千秋楽での柏戸・大鵬の相撲で、4場所連続休場中だった横綱柏戸が全勝優勝を決めた際に、石原慎太郎が八百長と述べ、日本相撲協会が告訴したが和解したことがあるようです。当時から、発言は過激だったようです。

これ以外にも多くの疑惑が取りざたされていますが、週刊誌が騒いだものでは、1980年代からの「週刊ポスト」による八百長疑惑連続報道や、2007年1月の「週刊現代」による朝青龍連続優勝に関し15回の優勝のうち11回分は朝青龍が金で買った優勝との記事掲載などがありました。週刊現代について、相撲協会は、発行元の講談社と記事のライターに対し2件の損害賠償などの民事訴訟を提起しました。この2件の訴訟は、その後、最高裁第1小法廷で、2010年10月21日、講談社側の上告を棄却して、講談社側に計4400万円の損害賠償と記事の取り消し広告の掲載を命じた東京高裁の判決が確定しています。

裁判結果と今回の関係

この週刊現代の記事に関連して発行元の講談社とライターが敗訴した判決については、今回の「動かぬ証拠たるメール」の発覚によって、裁判所の判決を批判する週刊誌の記事やインターネットで賑やかになされています。

たしかに、これら判決が確定するまでの間に、今回のような証拠が出てきたような場合に、判決に影響があった可能性もないではないと思います。

ただし、裁判というのは、具体的の事実に関連して、それを裏付ける証拠があるかどうかで決まるものです。週刊現代が記事にしたものと、今回のメールで発覚した八百長とは、直接の関連はありません。そこにあるのは、「やはり大相撲に八百長が存在するのだ」という点だけです。そういったことだけで、訴訟の判決が直接に左右されるかは、別の問題でもあります。

実際に週刊現代事件での東京高裁平成22年3月17日判決の理由を見てみると、記事の真実性又は相当性のところで、記事の内容ごとに詳細に取材内容や方法等について証拠を個別に分析していて、結果として、記事に摘示された事実のいずれもその重要な部分において真実であることの証明がなく,かつそれを真実と信ずるについて相当の理由があるとは認められないものと判断しています。これこそ、証拠で判断を下す裁判制度そのものの結果ですから、今回の「動かぬ証拠たるメール」の発覚によって、裁判所の判決を批判するのは、ポイントはずれと言えます。

判決文は興味深い

この東京高裁の判決文を読むと、なかなか読み物としても興味深いところがあります。いくつか、拾ってみました。

(以下判決理由部分より)

相撲の由来については,悪魔を祓う一種の宗教行事であり,雨乞いや地鎮などに用いられ,また朝廷の節会の行事となり,あるいは社寺の勧進の手段として行われ,神事や占いとしての相撲では「独り相撲」(力士は一人で土俵に立ち神と取り組む仕草をする。神の機嫌を取るためわざと負ける)や凶作不漁の見込まれる土地の力士に勝ちを譲るようなことが行われていたなどと伝えられている。現代の祭儀相撲においても,事前に勝敗の決まった勝負が儀式として行われ,その宗教行事性が濃厚である。江戸時代になると「勧進相撲」が盛んとなり,儀式面に宗教行事性を残しつつ,営利目的での興行の側面が濃厚となり,庶民の娯楽としても楽しまれるようになったが,力士当人や力士を抱える大名の面子を傷つけないための星の譲り合いや,四つに組み合って動かず引き分けたり,物言いの末の預かりの裁定などもあったとされている。明治以前のいわゆる近代スポーツ精神がさほど国民の間に浸透していなかった当時,人情芝居と同様に土俵上の人情味が黙認された時代もあったが,その後,見せ物としての相撲からスポーツとしての相撲の特色が濃くなり,スポーツ精神の向上は土俵上の人情芝居を許さなくなったといわれ,大正末期には,引き分けや預かりが廃止されたが,これは八百長防止対策といわれている。

一般に八百長とは真剣に争っているように見せながら事前に示し合わせたとおりに勝負をつけることを意味するが,その語源は相撲と関連しており,明治初期に八百屋の長兵衛が相撲の親方と碁を打つ際,親方の機嫌を取るためにわざと負けたことがその語源といわれている。八百長相撲には,けがをおそれたり,相手力士に情をかけるなど,相手力士が「八百長」であることを知らない片八百長の相撲と,一方が相手方に工作してあらかじめ勝敗が決まっている八百長の相撲があるが,本件記事で摘示されているのは金銭の授受を伴う八百長であり,八百長のうちでも嫌悪されるべき悪質な態様のものである。・・・・・     

 
 

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