大阪プライム法律事務所

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アメリカの危ないロイヤーたち

13.03.17 | 企業の法制度

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やや挑発的な表題ですが、これは、原題が『アメリカ弁護士の道徳的指針一真実、正義、権力と貧欲』という本の翻訳書で、昨年に発売されました。
アメリカの弁護士である2名の原著者は、米国の行き過ぎた「当事者至上主義」に起因するさまざまな問題点を指摘し、著者としての意見(「法律家である前に人間であれ」)を提案しています。当事者至上主義という言葉は、弁護士が「依頼者の雇われガンマン」として、依頼者のためだけに行動することを至上命題にしていることをいいます。
少々、過激な内容で、これは決してアメリカの弁護士の全てを表したものではないと思いますが、アメリカ的な弁護士の生き方をえぐりだしています。

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この本の原題は、"The Moral Compass of the American Lawyer : Truth、Justice、Power、and Greed" と言います。原著は1999年に刊行されました。著者は、ともに、カリフォルニア大学ヘイスティングス校で法曹倫理を教え、カリフォルニア州弁護士会の弁護士倫理委員会委員長をしていたR.ズィトリン弁護士とC.ラングフォード弁護士です。訳者は一橋大学法科大学院の村岡啓一教授です。

「法律家のように考えよ」か「人間らしく考えよ」か
訳者のあとがきによると、原著のテーマであるアメリカの弁護士の職業倫理については大別して二つの考え方があるとして、以下のように解説しています。

その一つは、「法律家のように考えよ (Think like a Lawyer.)」です。専門職業人としての法律家には固有の職業倫理があるので、一旦、弁護士として依頼者のために代理業務を行うことになったならば、たとえ、一人の人間としての倫理観や道徳律に反していると感じても、その弁護士としての職業倫理に従うべきだとする考え方です。

この場合、「倫理的」あるいは「倫理に適った」という表現は、倫理規則や行為規範などの法的な規範に照らして、「明文規定には違反しない」という意味に近くなります。

もう一つの考え方は、「人間らしく考えよ (Think like a human being.)」です。弁護士に法律家固有の職業倫理があるにしても、弁護士の役割は依頼者の代理人に尽きるのではなく、法制度が保護しようとする公益の維持も含まれるのであるから、一人の人間としての道徳律と一致させるように弁護士としての態度決定をするべきだとする考え方です。

この場合、「倫理的」か「非倫理的」かの分岐点は、倫理規則の明文規定に違反したか否かではなく、より高次の人間としての道徳律と一致しているか否かを基準としています。その結果、たとえ、明文の倫理規則には違反していなくとも人間として倫理的に許されないという非難を受けることになります。

本書での紹介ケース
本書では、日本ではあまり馴染みがない諸制度がよく取り上げられています。タイムチャージ制の弁護士報酬、民事の証拠開示制度、弁護士の秘匿特権、クラスアクションなどです。このため、なかなか実例から教訓を読み取ることは難しい面はありますが、根底には、依頼者の代理人としての忠誠と、社会に対する法律家としての忠誠、つまり「私的義務」と「公的義務」の衝突にあることが読み解けます。言い換えれば「依頼人の利益か、公益か」というジレンマです。

レイク・プレザント事件
本書の第1章は「隠された死体 ロバート・ギャロウとその弁護人」と題して、アメリカでの弁護士倫理を語る上で非常に有名な「レイク・プレザント事件」での弁護人を取り上げています。

この事件は、1973年7月、ニューヨーク州のプレザント湖にキャンプ中の学生が殺害され、その犯人としてロバート・ギャロウが逮捕され、2人の弁護士が弁護人として選任されました。ギャロウはこの弁護人に対し、他にも2人を殺害したことと、その死体を隠した場所をも打ち明けます。弁護人はその場所に行って、遺体を発見しました。その後、その弁護人は警察や被害者の親から行方不明の2人の情報を聴かれても、知らないと返答を続けます。その後の公判でギャロウ本人から、他に2人を殺害した事実を語らせましたが、弁護人はその段階に至って初めて遺体の所在を警察等に告知しました。

世論は、この2人の弁護人が、遺族にさえ長期間にわたって遺体の所在を秘匿していたことを強く非難しました。弁護人は、すでに死亡していて救命が必要な状況ではなかったことと、遺体の場所を開示しないことが、被告人の弁護のためには有益なことであって、秘密保持は、むしろ弁護人の採るべき行動であったと反論しました。

この件では、弁護人は裁判にかけられ、また懲戒請求もされましたが、罰せられたり、懲戒処分をうけることはありませんでした。その理由は、弁護士が依頼人の秘密を保持する義務を守り、被疑者の憲法上の権利を守るために行動したものだったからです。ところが、この弁護人は、守秘義務を守り抜いたが故に、世論から激しい袋だたきに遭い、ついには廃業に追い込まれました。

この問題は、弁護士の人間性と、弁護士の秘密保持義務の対立場面です。弁護士の秘密保持義務は、これがあるからこそ依頼者は何でも打ち明けることができ、その結果、人権保障が貫徹できるからであり、その価値は普遍的なものでもあります。

経済的強者による熱心弁護
第3章では、労働事件において、労働者からの請求に対して、企業側に立った弁護士が、証拠開示請求において徹底的に、かつ執拗に戦い、消耗戦に持ち込み、ついには資力の面で労働者側が力尽きてしまう場面を描いています。

アンビュランス・チェイサー
第6章では、アンビュランス・チェイサーの話が出てきます。救急車を追いかける弁護士です。事件漁りと金漁りの姿を生々しく描かれています。ある法律事務所は、調査員と称する事務員を採用していて、その者は、警察よりも前に事故現場に到着して、事故の損害賠償交渉の依頼を勧誘するので有名だったという話が出てきます。このような事件勧誘は、さすがに品位を疑われるものの、その事務所の所長の発言は、「被害者が当然に得るべき賠償を手にすることを助けているだけだ。」

また、同じ章では、1996年の航空機事故で、多くの災害事故専門弁護士が、被害者遺族が滞在していた墜落現場近くのホテルに、代理人選任勧誘パンフレットを持って訪れ、勧誘活動をしている実態も書かれています。これらでも、そういった弁護士の考え方は、遺族に適正な権利行使を助けるための当然の行為に過ぎないと考えているようです。

当事者至上主義からの変化の動き
アメリカでは伝統的に、前者の当事者至上主義が弁護士像の主流でしたが、最近では、後者のように、依頼者の利益だけではなくて、「公益(publicinterest)」をも同時に保護しなければならないという多面的重層的な弁護士像が有力に主張されるようになってきています。

この本の著者は、後者の考え方に立って、前者の職業倫理観に対し、強く批判をしています。

こうした後者の“反撃”は、依頼者利益の擁護を第一とする、ある意味では弁護士の伝統的な存在価値への反動ともみることができます。他方で、「いや、弁護士の役割には依頼者の私的利益の擁護だけではなくて、社会全体の公的利益の擁護がある」という弁護士の公的側面は従前からあるのが、より強調されてきただけとの意見もあると訳者は紹介しています。

日本ではどうか
訳者によると、日本では、依頼者の意思を尊重する「雇われガンマン」を志向するというよりは、仲裁人ないし調停者としての紛争の円満解決を目指す法律専門家という意識の方が強いように思われる、と述べています。

「弁護士は在野法曹である」とは言うものの法律家の絶対数が圧倒的に少なかった事情もあり、弁護士は依頼者の利益を徹頭徹尾追求するというよりは、法的な知識を独占した専門職業人として、依頼者の利益を追求しつつも対立する相手方の利益ないし公益をも可能な限り取りこんで円満な解決を志向するという公的性格の方を重視する傾向があったからと分析しています。
その意味で、日本の弁護士像は、「人間らしく考えよ」という価値観に大きな違和感はないように思えます。

ただ、弁護士人口の増大化が進み、また、それに応じて、価値観や思考の多様化が急速に進んできている現状では、この本で極端な姿で紹介されたような弁護士も、徐々に出てきているように思います。弁護士としては、やはり、根底に、依頼者利益の追求ともに、公益性・公共性をも併せ持ったプロ意識を忘れたくないものです。

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